Bi-Bo-6

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日常のあれこれ

Apple Music

最高だ。
これで、今まで購入に迷っていた楽曲も思う存分堪能できる。まだ私の知らないジャズの名盤にも、これからたくさん出会えるだろう。1
定額制サービスに支払うということは、自分自身の音楽との向き合い方を明確に変化させざるを得ない。それは、今までの「"曲ごと"に対価を支払う行為」は「自分が(主に日常生活において)"音楽に割く時間"を買うべきか否か判断する行為」へ変わった、ということだ。

競合サービスだが、ほぼ同時期にリリースされたAWAについて歌手のIMALUはこんな発言をしている。

AWAについても「やっとこういうアプリができたとすごく嬉しいんですけど、小学校からテープから始まり、MDユーザーになり、MP3プレイヤーを持つようになり、小さい時からプレイリストを自分で作っていたので、それがアプリで自由に作れるっていうのは本当に革命的ですし楽しいです。自分の好きな曲をいろんな方に知ってもらえたり、教えられるということはとても嬉しいです。」
  ――定額制音楽配信アプリ「AWA(アワ)」が利用拡大中! IMALUもプレイリストを公開!

これ、すごくわかる。超わかる。ちょうど10年くらい前、TSUTAYAに通って旧作アルバムをたくさんレンタルして、MDやmp3に粛々とリッピングする作業が楽しかった、あの記憶がよみがえる。曲名を打ち込んだり、ジャケ写画像を拾ってきて埋め込んだりと、相当な時間を費やした自慢のプレイリストだった。けれど、iPodからiPhoneへ、WindowsからMacへと世代を引き継ぐ中で、全ての楽曲ファイル、タグ情報を綺麗に引き継ぐことは難しくもあった。容量の問題もある。Apple Musicは、それらの問題をほぼ完璧に解決してくれたと言っていい。2

時を経て、私たちは文字化けタグの悪夢から解放された。
前に立ちはだかるのは、携帯キャリアのデータ通信量制限だけだ。

どことなくいつもより電波のつながりにくい地下鉄の中で、ふとそんなことを思う。  


  1. さすがにまだ手持ちの楽曲全部をApple Music上で、というわけにはいかなかったけど、これからに期待。The Beatlesや他にも著名な楽曲、過去作で配信がないのが惜しい。
  2. iTunesライブラリとの統合の精度、カタカナ・英字の表記ゆれなど・・まだまだ使いやすくなる余地はあると思う。

世界報道写真展2014

昨年のものですが、展覧会でチェックマークをつけた作品の振り返りを。


もしテーマに対し賞を配分すれば倫理と哲学の問題になり、写真コンテストとしての成功は望めません。私たちは優れた写真に賞を与えることを唯一の指針とすべきなのです。テーマが何であれ、撮影者が重要だと考える問題を、いかに効果的に表現しているか、その達成度を審査しました。鑑賞者を長くひきつける力も重要視し、対話の始まりとなる写真、そして被写体について深く考えさせる作品を高く評価しました。
―Gary Knight(ゲーリー・ナイト) - 『世界報道写真展2014』に寄せて




“Woman disapointed to learn Nelson Mandela’s lying-in-state had already finished”
マンデラ元首相の遺体公開に間に合わず、がっかりする女性)
Markus Schreiber(マルクス・シュライバー)- 世界報道写真展2014(「観察肖像」の部 単写真1位)





“Participants competing at swimming championships in Spain and Australia"
(スペインとオーストラリアで開かれた水泳の大会に出場した選手たち)
Quinn Rooney(クイン・ルーニー)- 世界報道写真展2014(「スポーツ・アクション」の部 組写真3位)





(via Terror at the Boston Marathon - Photos - The Big Picture - Boston.com)
John Tlumacki(ジョン・トゥルマキ)- 世界報道写真展2014(「スポットニュース」の部 単写真2位)





(via 復活するピューマ | ナショナル ジオグラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC) 日本版公式サイト)
Steve Winter(スティーヴ・ウィンター)- 世界報道写真展2014(「自然」の部 組写真1位)





(via トランシルバニア 草香る丘陵 | ナショナル ジオグラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC) 日本版公式サイト)
トランシルバニアの農家の年収は、農業以外の仕事の収入を合わせても世帯当たり4000ユーロ(約52万円)程度だ。浴室のある家は半数にも満たない。車を買える余裕のある人が少ないため、馬の価格は高い。

 1947年から89年まで続いた共産主義政権の時代、トランシルバニアの人々はずっと牧草を刈り、家畜を飼って暮らしてきた。だが89年の末、革命によりニコラエ・チャウシェスクの政権が崩壊。集団農場は解体され、土地は以前の所有者に戻された。住民たちは、共産主義体制以前に営んでいた小規模農場の経営を再開したが、90年代半ば以降、こうした農場は衰退し始めた。高齢化が進んだためだ。

via Rena Effendi(レナ・エフェンディ)- 世界報道写真展2014(「観察肖像」の部 組写真3位)





“Westgate mall in Nairobi attacked by masked gunmen.”
(覆面の男たちが銃撃事件を起こしたナイロビのショッピングモール)
Tylar Hicks(タイラー・ヒックス)- 世界報道写真展2014(「スポットニュース」の部 組写真2位)
ピューリッツァー賞2014winner






「TANGE BY TANGE 1949-1959/丹下健三が見た丹下健三」 - TOTOギャラリー・間

TANGE BY TANGE 1949-1959/丹下健三が見た丹下健三
KENZO TANGE AS SEEN THROUGH THE EYES OF KENZO TANGE

本展では丹下健三が自ら撮影した自身の作品70余点のコンタクトシートにより、その初期像を紹介します。コンタクトシートに自身で描きこんだトリミング指示の赤線を通して、若き丹下がどのように自身の建築を見ていたか、建築とどう対峙していたかを探ります。
自身の手によって書き込まれたトリミングの線などは自信に満ちているのもあれば、悩ましく書き直しを繰り返したものもあり、人間丹下の姿が伝わってくるでしょう。





 今回展示されていたコンタクトシートに載っている写真、おびただしい枚数があり、被写体には彼の作品もそうではないものもありますが、写っているのは全部「外観」なんです。これについては大変興味深い話をギャラリートーク1にて聞けました。

彼にとっては、内部空間は写すべきものではなかった。彼の作品には内部空間など存在せず、内部と外部を隔てる概念もなかった。むしろ、内部はからっぽだということを彼自身も知っていた。当時から、「丹下の建築は"神殿"だ」と揶揄する人もいた。(対照的に、村野藤吾などふんだんに意匠を取り入れる建築家も同時期に活躍していました)

 写真に記されたトリミングの線、外観や構図への圧倒的なこだわりは、彼がただ純粋に視覚的快楽を追求しているようにも見えました。直線が伸びゆく姿やスケールの大きさが恍惚を呼び起こすこと、私にとってそれは端的に男性性を感じる要素でもあります。



 また、コンタクトシートの中でもとくに広島の「広島平和会館原爆記念陳列館」に関わる写真群は異色でした。写真は1952年撮影で、山積みの瓦礫や崩れた墓場の姿は原爆のもたらした痛みや損傷の大きさを物語っていますが、その一方で新しく建ち始めた住宅もたくさん写っており、それは「底力」「復興」という言葉の本質的な意味を感じさせるものでした。私は2011年12月に宮城県石巻市を訪れましたが、そこで見た景色(津波によって遺構と化してしまった街並み)にどこか重なる部分も多かったように重います。






 上記で述べた「内部空間をあえて無とする」考え方や、徹底的に視覚的な美しさを追求する姿は写真だけでなく彼自信の言葉や雑誌に寄稿したエッセイからも見て取れます。 私達の意図を視覚化していく方法
イサムノグチと京都を巡って語らったこと。桂離宮龍安寺2など)


『機能と空間の典型的対応』
P.289, 「現実と創造 : 1946-1958」丹下健三, 川添登 編著

 私はとくにこの「現実と創造」を読んで、彼が展開する論理の虜になってしまいました。例えば「機能が積み重なって空間の秩序や働きを規定することもあれば、空間が絶対的な意義を生み出してしまうこともあるが、それらは決して反発するものではない」とか、「和風建築はもっぱら低く座った時の目線が主になるし、洋風建築においては立ち上がった時の目線が主になるが、私はあえて低く座ったときの目線、を主にしようと思った」など(記憶を書き起こしてるので文は曖昧ですが)、頷く話が多いのです。
 この本、今は入手困難かと思われますが、図書館に行ってでもじっくりと読みたいと思っています。

 そして、「美しきもののみ機能的である3」という言葉も大変有名かと思いますが、そこには唯美主義との親和性を感じます。

唯美主義とは、19世紀中頃、ヴィクトリア朝期のイギリスで起こった芸術運動。「芸術のための芸術(Art for Artʼs Sake)」をスローガンとして、芸術が、旧来の慣習や道徳的な規律を伝えることを目的にするのではなく、それ自体としての純粋な色と形の美、絵画においては視覚の喜びを追求することを目指しました。
 ―ホイッスラー展>みどころ


 建築家の言葉って美しいですよね。新しい情報がとめどなく流れてくる現代の生活ではありますが、温故知新を大切に、旧き教養高き思想に向き合える時間は自分でも意識して作らなきゃなーと思いました。アトリエが欲しくなります。




  1. ギャラリートーク第2回「建築家が見た丹下健三」(岸和郎,豊川斎赫)より
  2. 今回見たコンタクトシートの中で、一番のお気に入りは龍安寺の石庭を縦に写した(切り取った)写真です。空、寺の壁、石、敷き詰められた砂利の比率が完璧でした。
  3. "Only beautiful things are functional."

オープン・スペース2014 - NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

オープン・スペース2014 / OPEN SPACE 2014


オープン・スペースは、ICCの代表的プログラムです。公式サイトには以下のように紹介されています。

オープン・スペースとは,2006年より開始された,ギャラリーでの年度ごとに展示内容を変える展覧会,ミニ・シアター,映像アーカイヴ「HIVE」などを,入場無料で公開するものです.ICCの活動理念にもとづき,より多くの方々に先進的な技術を用いた芸術表現とコミュニケーション文化の可能性を提示する開かれた場として機能することをめざしています.


 今回の2014年展示は、メディア・アートと称されつつも、なにか物質的な問いかけを感じさせる作品が多かったように思います。  
 
 下記に印象的だった作品をメモ。(強調は筆者)  
 

バイナトーン・ギャラクシー》2011年
スティーヴン・コーンフォード

数十台の中古のカセット・レコーダーが壁に掛けられて音を発しています.しかし,レコーダーの中のカセット・テープにあらかじめ録音された音が再生されているわけではありません.そこから聞こえてくる音は,レコーダーという装置自体がいまそこで発する音なのです.装置のモーターが駆動し,カセット・テープを走行,再生させる機構による挙動に伴って発される音を,装置内のカセットに装着されたマイクロフォン(圧電センサー)によって取り出し,増幅することで音を発します.

この作品は,カセット・レコーダーという技術の進歩に伴い使用されなくなっていく旧式のテクノロジーをオリジナルな音響発生装置へと作り直し,装置の持つ機能的な可能性を再考しています.本来,レコーダーという装置と,カセット・テープという記録媒体は,どちらか一方だけでは機能しません.しかし,この作品では,カセット・テープに事前に録音された音の代わりに,マイクロフォンがとらえたレコーダーのリズミックな機械音とカセット・テープのプラスチックのケースの中の音響特性を聴くことができます.それは,カセットの中の音響と機械それ自体の声を聴くことで,すでに消費されてしまったテクノロジーの持つ,もうひとつの意義を明らかにするのです.

なお「Binatone」は英国の電子・音響機器のブランド名に由来しています.

 カセットテープ&レコーダーを用いた作品は2000年代を過ぎてもなお様々なところで見かけます。2014年の第17回文化庁メディア芸術祭で受賞した「時折織成 ―落下する記憶―」も記憶に新しいかと思います。テープが落ちきり、巻き上げる瞬間に音楽を奏でるというユニークな作品でした。
 今回の展示も無数の「テープが巻かれる音」に満たされた空間で我々は何に思いを馳せるか、問いかけられているようです。
 技術は、上書き保存ではないはずです。さまざまな研究の中で膨大な数の分岐が存在し、膨大な数のバージョンファイルが作成されていった結果が、ひとつの「技術(いわゆる特許)」と呼ばれ社会的な価値を生み出してきたのではないでしょうか。懐古趣味やノスタルジーという感傷性を差し引いても、私は「失われていくテクノロジー」「既に消え去った"ロストテクノロジー"」にとても惹かれます。その延長線上に自分の生がある、と感じるからかもしれません。  


ジ・イモータル(不死者)》2012年
リヴィタル・コーエン&テューア・ヴァン・バーレン

《ジ・イモータル(不死者)》では,いくつもの機械がチューブでつながれています.これらはすべて,人間の身体機能を補うために作られた医療機器です.人工心肺装置,人工呼吸器,透析装置,保育器,自己血回収装置,酸素供給器,心電図モニターなどが,ここでは人間不在のままお互いに接続され,それら自体がまるでひとつの生命体であるかのように,作動音を発しながら自律的に塩水(血液の代わり)と空気を循環させる「生体活動」を行なっています.


 『考えの整頓』(佐藤雅彦)にはこんな一節が出てきます。

『開閉式のオルゴールは、「聴く人がいる/聴く人がいない』という外界の違いを蓋の開閉で判断する機構を持っていて、そのことで「音楽を奏でる/音楽を奏でない」というように自分の状態を遷移することができる。そして、判断する仕組みである小さな針金の突起を指で押されると、蓋が閉まったものと思い込み、音楽を止める』

 これ!まさにこれだと思いました。「普段、人体の生体活動維持のために動作する機械郡は、対象が生きていると思い込み働き続けている。」ひとつの見方をすれば、それらは紛れもなく命とみなされる運動です。そこに"命があること、命がないこと"を一体だれがなにがどうして判断できると言うのか。センシティブな境界線が見え隠れします。


 こうやって取り上げてみると、両方共アートのみならずドキュメンタリーの要素も感じる作品と言えるかもしれません。