TANGE BY TANGE 1949-1959/丹下健三が見た丹下健三
KENZO TANGE AS SEEN THROUGH THE EYES OF KENZO TANGE
本展では丹下健三が自ら撮影した自身の作品70余点のコンタクトシートにより、その初期像を紹介します。コンタクトシートに自身で描きこんだトリミング指示の赤線を通して、若き丹下がどのように自身の建築を見ていたか、建築とどう対峙していたかを探ります。
自身の手によって書き込まれたトリミングの線などは自信に満ちているのもあれば、悩ましく書き直しを繰り返したものもあり、人間丹下の姿が伝わってくるでしょう。
今回展示されていたコンタクトシートに載っている写真、おびただしい枚数があり、被写体には彼の作品もそうではないものもありますが、写っているのは全部「外観」なんです。これについては大変興味深い話をギャラリートーク1にて聞けました。
彼にとっては、内部空間は写すべきものではなかった。彼の作品には内部空間など存在せず、内部と外部を隔てる概念もなかった。むしろ、内部はからっぽだということを彼自身も知っていた。当時から、「丹下の建築は"神殿"だ」と揶揄する人もいた。(対照的に、村野藤吾などふんだんに意匠を取り入れる建築家も同時期に活躍していました)
写真に記されたトリミングの線、外観や構図への圧倒的なこだわりは、彼がただ純粋に視覚的快楽を追求しているようにも見えました。直線が伸びゆく姿やスケールの大きさが恍惚を呼び起こすこと、私にとってそれは端的に男性性を感じる要素でもあります。
また、コンタクトシートの中でもとくに広島の「広島平和会館原爆記念陳列館」に関わる写真群は異色でした。写真は1952年撮影で、山積みの瓦礫や崩れた墓場の姿は原爆のもたらした痛みや損傷の大きさを物語っていますが、その一方で新しく建ち始めた住宅もたくさん写っており、それは「底力」「復興」という言葉の本質的な意味を感じさせるものでした。私は2011年12月に宮城県石巻市を訪れましたが、そこで見た景色(津波によって遺構と化してしまった街並み)にどこか重なる部分も多かったように重います。
上記で述べた「内部空間をあえて無とする」考え方や、徹底的に視覚的な美しさを追求する姿は写真だけでなく彼自信の言葉や雑誌に寄稿したエッセイからも見て取れます。 私達の意図を視覚化していく方法
(イサムノグチと京都を巡って語らったこと。桂離宮や龍安寺2など)
『機能と空間の典型的対応』
P.289, 「現実と創造 : 1946-1958」丹下健三, 川添登 編著
私はとくにこの「現実と創造」を読んで、彼が展開する論理の虜になってしまいました。例えば「機能が積み重なって空間の秩序や働きを規定することもあれば、空間が絶対的な意義を生み出してしまうこともあるが、それらは決して反発するものではない」とか、「和風建築はもっぱら低く座った時の目線が主になるし、洋風建築においては立ち上がった時の目線が主になるが、私はあえて低く座ったときの目線、を主にしようと思った」など(記憶を書き起こしてるので文は曖昧ですが)、頷く話が多いのです。
この本、今は入手困難かと思われますが、図書館に行ってでもじっくりと読みたいと思っています。
そして、「美しきもののみ機能的である3」という言葉も大変有名かと思いますが、そこには唯美主義との親和性を感じます。
唯美主義とは、19世紀中頃、ヴィクトリア朝期のイギリスで起こった芸術運動。「芸術のための芸術(Art for Artʼs Sake)」をスローガンとして、芸術が、旧来の慣習や道徳的な規律を伝えることを目的にするのではなく、それ自体としての純粋な色と形の美、絵画においては視覚の喜びを追求することを目指しました。
―ホイッスラー展>みどころ
建築家の言葉って美しいですよね。新しい情報がとめどなく流れてくる現代の生活ではありますが、温故知新を大切に、旧き教養高き思想に向き合える時間は自分でも意識して作らなきゃなーと思いました。アトリエが欲しくなります。
丹下健三のいう「内部空間と外部空間の"交わり"」「機能と空間の"交わり"」は、私達が水と油だと二分しがちな概念を、まるで温度の違う水がゆっくりと混ざり合っていく姿のように描写することで、禅的に聞こえる。「日本の伝統を否定しつつ、しかも正しく伝統を受け継いでゆきたい」とは彼の言葉。
— ウダガワアイ (@aimerci) March 7, 2015