良書!
私自身が感じる、今の日本の教育全般(特に小学校期の学習指導要領や学校経営方針等)に対する違和感を紐解く謎解きの書であった。戦後〜90年代までの詰め込み型や受験競争などを反省し総括する文献に触れる機会はあれど、その後90年代から2020年代まで、どういった変遷で今のような学習指導要領に落ち着いたのか、それを知る機会がなかったのでとても勉強になった。
学歴による序列化の「日本型メリトクラシー」と、幅広い非認知能力 "生きる力" の序列化による「ハイパー・メリトクラシー」の2本が垂直的な評価を生み、一方で2006年の教育基本法改正により道徳や規範教育が強化されたことから「教化」と呼ばれる水平的画一化も新しい側面(「ハイパー教化」)から強められている。
いわゆる保守的な政治活動で語られる「取り戻す」「古き良き日本的価値観」のような文脈は、長らく自分にとっては「何のことを言っているのか」分からなかったけども、後者の「教化(横一線に同一の価値観を刷り込まれている状態)」という一言でまとめられるのか、と膝を打つ。
戦術レベルでは、新奇性からアクティブラーニングがもてはやされているが、戦略としての教育目標は現代でも「同一的な"資質"を養う」ことにあるため、「個別の答え、出口」を許さない設計であり、これが文字通りの息苦しさとなっている。
この縦2本横1本の評価軸では、今の社会が声高に叫ぶ多様性(多様化)とか包摂の価値観と相容れなくなってきているし、教育現場と実社会との間にねじれや葛藤、親子の不適応を生み出している。
その違和が、学校の内側からは見えず、学級という「現場」での解決は求めづらくなっていること、外側で生活する私たち「親」が気がつくがそれゆえに板挟みになりがちだという現実には、非常に納得度も高い。
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自分の義務教育期間を振り返ると、ゆとりど真ん中*1で育った身としては、座学による「教化」を受けた印象はあまりない。
そのかわり運動会ほか学校行事の準備時間が長く、そこで統率を学ばされていたのかなと感じたりもする。動作・所作としての統率はあったけど、内面をまとめあげ皆で価値観を共有するというような授業は一部の国語の読解以外では記憶がない。時間があったのか、担任の与太話も多かった。だいぶ時代が違うようだ。
*1:98年公示当時は小3だった。特例校として99年から「総合的な学習」も一足早く開始している。