Bi-Bo-6

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日常のあれこれ

ステキな金縛り - 三谷幸喜監督


2011年/日本/日本語


出演
深津絵里西田敏行阿部寛中井貴一小林隆/KAN/竹内結子山本耕史浅野忠信市村正親草磲剛木下隆行
小日向文世戸田恵子浅野和之生瀬勝久阿南健治佐藤浩市深田恭子篠原涼子唐沢寿明


文字通り「三谷ワールド」全開な作品。
久々の邦画でしたが、公開日からかなり良いレビューがついていて、六本木のシネコンがほぼ満席っていう状態で、今年の下半期を代表する作品になりそうです。
21:45から始まったのに終わったのが0:00ごろという、ヘビーな作品でもあります。


ボケひとつずつ、テンポよく丁寧に練られてるなって印象です。だから長い時間でもそれがまったく苦にならず(むしろ舞台の法廷がごちゃごちゃになっていく感覚にわくわくする)、とても'詰め'られているなあと感じます。おもしろいとかユニークという言葉ももちろん褒め言葉だと思うけど、何よりも「美しい」のがこの作品。笑いに嫌味がないとか、登場人物(俳優さんの人選も含め)がみなほっとできる人だったり、そういった「安心感」がベースにあるのだと思います。
個人的には、彼ら登場人物同士の表面的なつながりだけでなく、ラストでもっとユニークな種あかし('one more thing'的な!)があっても良かったんじゃないかなとも思ったり。*1


★★★★☆-




三谷さんの笑い、というのは正直私は好きなほうではない。「ここで笑って!」というサインが大げさすぎる気がする。*2
ただ、『ハングオーバー!』シリーズのようにあまりにも身体性に頼りすぎたボケと比べると、こういう「神経質なギャグ」*3の生産もそれはそれでおもしろいかなと思う。サービス精神的な何かを感じる。


三谷さんの世界のなかでの笑いは、「ずれ」からくる快感じゃなくて「非日常」体験に近い。だからコメディと言うよりは「完成度の高いファンタジー」という感触がある。



けれど、そのファンタジーのレベルがすごく高い。まさに「監督」という言葉がふさわしい。
OPや主題歌、映像の加工、エンドロールまで、彼の完璧主義なところを垣間見れると思うし、それによって私達もものがたりの中へイージーに「入り込める」こと、それが彼の作品のすごいところだと思う。コメディ映画にはいろいろと難癖をつける(「あれこれはあり得ない!超常現象なのか?」みたいな意味不明なツッコミをする)人がいるけれど、彼の作品にはそういった隙がない。安定感があると思うし、老若男女が楽しめる作品をつくりだす、和製エンターテイナーという称号がよく似合う。予想外のボケでお腹がよじれるのではなく、限られた尺の中に規定数の笑いを放りこめる、そういった才能。
彼自身はよくエッセイで「僕はおもしろ人間ではない」(コメディに関わる人の大半はそう言うもので、これをギャグと捉えるか本音と捉えるかでまた議論もできそうだが。)と言っているように、毎日お腹を抱えて笑いながら生きているわけではないのだろう。そんなことを(笑わせてくれるはずの)コメディ作品から垣間見てしまうのもなんともナンセンスな気がするけど。


以前観た中で引き合いに出せるものといえば、中島哲也監督の『パコと魔法の絵本*4が個人的にはかなり好きだった。彼は視覚的にぶっとんでいて、俳優の個性を引き出して笑いに持っていくタイプで、脚本と美術と俳優の化学反応が作品の輪郭をつくっていた。たしか私はあの作品を観てから阿部サダヲさんすごくおもしろい人だなって思うようになって。
こちらの作品はといえば、そうそうたるメンバーがクレジットに名を連ねているものの、「アク」の強さで選ばれているわけではないようだ。しいて言えば柔軟性や透明感を持ちあわせている人が多い。深津絵里さんなんて本当にその代表だと思う。もちろん無個性というわけではなくて、ベースになるような色は持ち合わせているんだけれども。*5そういうなかで、彼らのキャラクターが生き生きと人格(カラー)を発色するのではなく、ある一定の囲いのなかで、美しいグラデーション(ロールプレイや役割分担と言えるかもしれない)を描くような作品。調和という言葉がふさわしい。*6


ジャンルに囚われず「自分が笑った脚本」という流れから、観た作品を思い出していくとまた違うものがみえてくる。ロバート・ダウニー・Jr.とジュード・ロウの『シャーロック・ホームズ』は2人の掛け合いが絶妙でかなり笑ったし、最近の『ステイ・フレンズ』はラブコメだけど、「iPadジョーク」*7的な一種の「あるある」シチュエーションが新鮮だった。*8
そして、全然話は飛ぶけれど私たちの"ギャグがわかんない"っていう感覚にもし欧米コンプが潜んでいるのだとしたら、その他英語を母語としない人々も、ハリウッドの映画を観て同じ事を考えているのだろうか?「なにをもって笑うか、なにで笑うと気持ち良いか」これってすごくミクロなコミュニケーション上の問題でもあるのに、一方ではステレオタイプだとか古典的な喜劇とか、国民性や歴史までを含めた壮大なスケールの科学でもある。ガンも予防できるし。だから「笑える!おもしれー!!!」っていう単純なひとつの動作・シチュエーションでさえ、実は研究のしがいがあるんじゃないかなーって。


話は飛びすぎましたが、笑いは幸せの原点だとあらためて思った作品でした。*

*1:タイプは全く違えど、同じ登場人物がやたら多い群像劇タイプとして『ラブ・アクチュアリー』の各エピソードなんかはパズルのピースがすごくきれいにはめられていたから

*2:日本人はあらゆることに対して説明的になってしまう、というのは最近よく感じることでもある。高コンテクストのはずなのに、装飾過多。でもそれは逆に、詳細まで共有しようとする気持ち(といかそれはもはや一種のやさしさ)のあらわれなのかもしれないね…

*3:本質的にギャグっていうのは、無神経なおおざっぱすぎる人生からこそ生まれるのだが。ちなみに本来はここで「緻密」という表現を使うのがベターだと思います。

*4:http://www.youtube.com/watch?v=OcFY1koAOUM

*5:そういった役者の持ってる空気感は、「いそうで、いない。私達が彼らを強烈に一途になるわけではないけど、いてほしい人。いると安心する人。」そんな感じ。

*6:ここでまた寄り道すると、洋画のストーリーというのはたとえ群像劇だとしてもA.B.Cそれぞれの人物の思惑がはっきりしている。よくも悪くも利己的で、ハッピーエンドを描きやすい。始まりと終わりで変化することが特徴的。逆に邦画の場合は、なにか波乱が起きたときに「それが何もなかった状態」言い換えると「平和な日常への思慕」みたいな共感ベースで、物語が収束していく。終わりによって始まりに戻るのを目指していく。そんな印象が強い。もちろんどちらにも例外はあると思いますが。

*7:web、電子機器全般を用いたジョー

*8:Dylanの「Was she wearing AXE body spray?」もかなり好き