Bi-Bo-6

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日常のあれこれ

「マグナム・ファースト日本展」 - ヒルサイドフォーラム

MAGNUM’S FIRST


 学生時代、唐突にキャパへ憧れを抱きはじめた時期があった。と言っても、特に写真を撮り始めたりしたわけでもないのだけれど……なんとなく、「人の日常を切り取り、後世に残す」それが偉業というか、猛烈に「かっこいい」生業のように感じられたのだ。当時は下記のエッセイを私も読んだのだけれど、こう、カメラマンという立場からある種第三者的に戦争(WWⅡ)へと巻き込まれていく過程の描写にも人間味が溢れており、彼の人柄が垣間見えたことにときめいたものである。

ちょっとピンぼけ (文春文庫)

ちょっとピンぼけ (文春文庫)


 さて、話を「マグナム・ファースト展」に戻すと、これは言わずもがな「マグナム・フォト」という写真家集団(正確に言えば版権などをきちんと管理・保護するために設立された団体)の個展なのだけれど、それも「マグナム」を結成して一番最初に企画された展覧会の復刻展示である、ということ。元々、1955年にオーストリア5都市を巡回した企画展というものがあり、その後、作品群が消失してしまったことで、長らく幻の企画展として扱われていた。ところが2006年になるとインスブルックオーストリア)のフランス文化会館の地下で全作品が発見される。2008年より世界の様々な都市で巡回を行い、2016年晴れて日本での展覧会が開催されたというわけだ。

 以下、本展の感想。

 1955年といえば、第二次世界大戦が終了して10年。そんな時代の彼らの生活様式がぎゅっと詰まったこの展覧会は、私の心に爽やかで新鮮な風を吹き込んでくれる作品ばかりだった。ハンガリーオーストリア、インド、イギリス、そういった国々での人々の生活を切り取った1枚1枚に映る市民の表情は、どれも優しかった。特に町中の噴水や銅像のそばで自由に走り回る子どもたちの様子(きっと戦後に生まれた子どもたちだ)を写した写真を見ると、「あぁよかった」と思わずこちらが安堵してしまうような感覚さえある。
 個人的に良かったのは、アンリ・カルティエブレッソンが写したガンディーの肖像写真群。断食を終えたばかりのガンディーが、ビルラー邸で暗殺され、そしてガンジス川のほとりで荼毘に付されるまでの様子が収められた写真は10枚ほど。特に、川のそばで火葬されるガンディーを哀悼しようと駆けつけたインド人の群れの迫力に、生と死の不思議な対比を感じた。
 他に興味深かったの50年代のイギリス、ロンドン。女性達は皆タイトなロングスカートにジャケットのスタイル、そして毛皮を首から肩に掛けている。なんだかスカーフのような要領で。恐らくミンク(イタチ科)の毛皮だろう。こういうの、淑女の嗜みだったんだろうけど、イギリス人みんな同じ格好…こりゃあ英仏も仲悪くなるわという妙に納得感のあるファッショントレンドであった。

 そんなわけで、人々の生活様式が垣間見える写真や絵画が好きな私にとっては大変満足な内容だった(図録もお買い上げ)。
 落ち着いた展示室で見る展覧会は久々で、こう、主催の挨拶文を読んだ時に身体にスイッチが入る感じや素敵な作品にであったときののめり込む感覚、どれも懐かしかったし、「懐かしいって感じてるようじゃだめだな」と思える、いい刺激となったことに感謝したい。

マックス・リヒター「四季」のリコンポーズ(ヴァイオリン庄司紗矢香とポーランド室内管弦楽団)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016(公演番号:215)
音楽の冒険~21世紀に蘇る「四季」


ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、私は2年ぶり2回目。前回はレミ・ジュニエのピアノ演奏によるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番がお目当てだった。今年は4月の中旬にも差し掛かったところでやっとプログラムを閲覧、マックス・リヒターが編曲したヴィヴァルディ「四季」の演奏があるということでチケットを買うことに。室内楽なのでやはりホールB7(300名程度)がいいなと思ったものの既に完売しており、泣く泣くホールAの2階席を買う。

RECOMPOSED BY MAX RICHTER: VIVALDI FOUR SEASONS

RECOMPOSED BY MAX RICHTER: VIVALDI FOUR SEASONS

Recomposed by Max Richter: Vivaldi, The Four Seasons: Winter 1

Recomposed by Max Richter: Vivaldi, The Four Seasons: Winter 1

  • マックス・リヒター, ダニエル・ホープ, Raphael Alpermann, KONZERTHAUS KAMMERORCHESTER BERLIN & アンドレ・デ・リッダー
  • クラシック
  • ¥250
まず、「四季」のリコンポーズと"いえば"「冬の第一楽章」だと勝手に思っているわけで、こちらについては良い意味でCD版と生演奏が全然違う!CD音源ではかなりロック調というか、荒削りなサウンドになっており生演奏にすればそれはどこまでもヴィヴァルディの協奏曲と言った感じで優雅さ、柔らかさが漂う。「人の手による演奏」らしさが、機械で調整した音とは明らかに違うと感じられる体験となった。

そして、改めてコンサートで聴いて発見したところと言えば、「春の第三楽章後半~夏の第一楽章全般」の流れ。ソロ・ヴァイオリンの緊張感のある音が連続して響く最中、緊迫しているところも突然に終止符が打たれ、楽章が終わる瞬間。この、ふっと音が消えて、ピンと張った緊張だけが取り残されような感覚に、私はこっそりと泣いてしまった。そうして一息ついた後は、より激しさの増した夏が始まるのだ。
また、「冬」については、実生活の中で言えば耐え忍ぶ季節であることには間違いないのだけど、この「四季」という楽曲においては非常にカタルシス的な役割を持つ楽章なのだと思った。春、夏、秋とどこか均衡を保ったフレーズから、冬になりむしろ生の激しさを強調するかのような印象的なフレーズ。

庄司紗矢香さんは、例えるならキレのある白ワインといったところだろうか。この楽曲だからなおさらという部分もあると思うが、瞬発力とでも言うような、音のキレの良さが際立っていた。

ちなみに夫は「秋」がお気に召したとのこと。

公演後はTOKIA地下のインデアンカレーを1年ぶりに。ごちそうさまでした。



(動画は本家 仏ナントでのラ・フォル・ジュルネにて)

「建築家 フランク・ゲーリー展 “I Have an Idea”」 - 21_21 DESIGN SIGHT

フランク・ゲーリー 建築の話をしよう

フランク・ゲーリー 建築の話をしよう

企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 “I Have an Idea”」
(一部展示を除き撮影可)

ミッドタウンは冬の盛り。クリスマス仕様のイルミネーション1目当てに大混雑していたけれど、21_21の周辺は人も少なくおだやか。20日の夜は、そのギャップがまたおかしかった。

フランク・ゲーリーの作品はビルバオグッゲンハイム美術館くらいしか知らなかったけれど、なるほど彼は建築家、というよりかは創造家である。




建築家がみな雄弁なのか、それとも雄弁な建築家が目立つのか2。会場内には彼のQuartoが散りばめられている。以下、気になったもの。

母親が赤ん坊を抱く時の腕。それが建築のカーブ、かたちの動きだ。
Like your mother cradled you as a baby. That’s what the curves are, the movement of the forms.


他の分野と比べて建築が持つ固有の特徴は、空間を包み込んでいるということだ。
私が、外皮の操作に熱中するのも、多分そのためだろう。絵画や彫刻とは違うんだ。
For me the most distinctive quality of architecture with respect to other practices is the fact that it encloses spaces. That is perhaps why I tend to concentrate on the maniqulation of the enveloping surfaces: it is for me what distinguishes architecture from painting and sculpture.


私は自己批判的なので、竣工したときはその建物が嫌いでたまらない。
ああすれば良かった、こうすれば良かったとあげつらうので、
クライアントも私を持て余すようです。この状態から抜けるのに数年はかかります。
I’m self-critical, so when the building is finished, I always hate it. It takes me a couple of years to get over it.


完成するとひどいものだが、建設中の姿はすばらしい




フランク・ゲーリーのリビングを再現した壁から、インスピレーションの源泉を共有。「なんでもあり」な状態、雑然としたものを好むようです。


円地文子の「女坂


建物に見えてくる・・不思議なスケッチ。

ベルニーニのしわとミケランジェロのしわの違いがわかるか



マインドマップ、昔良く作ったなぁ







とにかく模型を作って、壊し、また作る。作りながら考えるというか、このハンドメイド感(手作りかつ、非常に有機的なプロセス)が、あれだけ巨大に具現化された建築物からもにじみ出ているのがすごい。それだけ模型に忠実というか、出来上がった建築物はもはや「模型の拡張」にさえ思えた。ひとつの大きなインテリアのようだ。



上はゲーリー事務所。下は展示室。


椅子の作風は機能的でこぢんまりまとまっている感じ。これは安定感もあって好みのかたち。




  1. 東芝プレゼンツ。LEDに命かけてます。

  2. 要は、うるさいのか。

世界報道写真展2015

昨年の記事はこちら。 世界報道写真展2014

東京都写真美術館がリニューアルのため、池袋の東京芸術劇場に会場を移しての開催。今まで地下の展示室だったので、陽光差し込む2階での展覧は新鮮だった。1

公式サイトからの引用を交えて、印象に残った順で記していく。



(via Crime Without Punishment - Spot News, first prize stories)

Jérôme Sessini(ジェローム・セッシーニ)- 世界報道写真展2015(「スポットニュース」の部 組写真1位)

7月17日、ウクライナ東部でマレーシア航空MH17便が撃墜され、乗客乗員298人が死亡した。親露の独立派勢力ウクライナ政府が、相手側の犯行であると非難し合っている。


飛行機=旅行=楽しいもの、と刷り込まれている私にとって、最も生々しく心に刺さる一枚だった。シートベルトを締めたまま地面に落ちた彼らは、本当に市井の人々だったのだ。


(via Behind a Window Blind - Daily Life, third prize stories)

Turi Calafato(トゥーリ・カラファート) - 世界報道写真展2015(「日常生活」の部 組写真3位)

名古屋のファーストフード店。現代では文化圏によっては、独りでの食事は珍しくない。


日本が舞台になるとは!私は以前、一人で食事をとることをなんとも思わず、むしろ自分のペースで好きなものを食べられてラッキーだと考えていたけれど、家庭を持つようになって一変した。食事の席はすばらしいコミュニケーションの場で、かけがえのない時間だと感じるようになった。今の私にとって、一人で食事をとることは「仕方のない」行為である。
当たり前の風景に疑問を呈す。ひっくり返す。感性を揺さぶる一枚。


(via Eritrean Wedding - Daily Life, third prize singles)

Malin Fezehai(マリン・ファゼハイ) - 世界報道写真展2015(「日常生活」の部 単写真3位)

イスラエルのハイファで結婚式を挙げるエリトリア難民の夫婦。イスラエルにはアフリカ難民が約5万人いる。


お揃いの衣装が洒落ている!


(via Beach Casualties - Spot News, second prize singles

Tyler Hicks(タイラー・ヒックス) - 世界報道写真展2015(「スポットニュースの部」 単写真2位)

ガザの浜辺へイスラエル側からミサイル攻撃があり、子供たちが犠牲になった。


逃げながら負傷した子供を運ぶ青年。他者とは何か。


(via Bosa, Bosa, Bosa! - General News, third prize singles)

Gianfranco Tripodo(ジャンフランコ・トリポド) - 世界報道写真展2015(「一般ニュースの部」単写真3位)

北アフリカにあるスペインの飛び地メリリヤで、治安警備隊から隠れる男性。スペイン側への越境を試みる人々が後を絶たない。


「まるで映画のワンシーンのようだ」


(via Cadets - Portraits, third prize stories)

Paolo Verzone(パオロ・ヴェルツォーネ) - 世界報道写真展2015(「ポートレート」の部 組写真3位)

欧州最高峰の軍事アカデミーの学生たち。


軍事アカデミー。その誇り。




  1. 現実を直視するという意味では「暗い気分になる」写真も多いので・・。