Bi-Bo-6

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記憶を記録 feat. 宇田川藍

ブロークバック・マウンテン - アン・リー監督

"Brokeback Mountain"


2005年/アメリカ/英語


2005年のヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞したり2006年のアカデミー賞にもノミネートされたという、芸術的評価も高い映画です。


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まずこの映画を観て思ったのは、「普遍的なものを描いているのに、「同性愛の物語」だというセンセーショナルな作品紹介が世に出回りすぎてるんじゃないの?」ということ。まあ実際アカデミー賞の作品賞を逃したのはハリウッドの「保守的な」都合だとも言われてるくらいだから、そういう「問題になりかねない(誰かが嫌悪するかもしれない)」表現にはもちろん留意すべきだとも思う。けれど、それは逆に、いままで気にしてなかった・特に変な境界を感じていなかった人々にも新たな区切りやラインを提示(教え込むといっても過言ではないかもしれない)してしまうことになる。要は「こういう愛の形って異常なんだ」って、変に刷り込まれちゃう可能性があるってことだよね(それを「一般常識」と呼ぶのがこの世の最も恐ろしいところ)。


話は戻って映画についてになるけれど、とにかく冷静なフレームが良いです。淡々とブロークバック・マウンテンの自然を映し、淡々と人々の生活を映し…映像美がすばらしい。そんな控えめな場面の切り取り方だからこそ、表面にあらわれる彼らの感情にリアリティを感じることができる。監督は台湾出身の方らしい。どこかアジアっぽい「無駄のない」「堅実さ」を感じる。


ネタバレあり




社会通念を大事にして(それは自己の保身しか考えていないことの裏返しでもあるけれど)、でも自分の内なる欲求を抑えることのできないイニスと、思いを正直に伝え感性の赴くままに生きてきた(が、夢半ばにして死んでしまった)ジャックの対比に考えさせられる。イニスが先にめとり、先に社会的安定を得、一見幸福のうちに暮らしているように私たち観客が受け取ってしまうのも、脚本の妙。ジャックが訪ねてきたときの喜びようからして、「本当はこんなにも彼を求めたのか」って思っちゃうのがせつない。


娘の婚約報告、思い出の遺品やポストカードに愛を誓ったところで終わるラストの切り方も良いと思う。イニスは彼の死によって改めて「いつの間にか自分の心に住んでいた・根を張らせていた人」が誰だったのか、感じただろうし、ジャックが生前に湖畔で思いの丈を述べたシーンでは、彼が「(ブロークバックで過ごした)あの日のイニスを捉えて離したくない」んだなっていう気持ちが痛烈に伝わってきた。


イニスが、結局は自分自身がこうしようと決めた、その「1/2」の愛情によって、妻からも愛する人からも離れて行ってしまったことが本当につらかった。彼にとっての幸せは、間違いなくあの「家庭」だったはず(少なくとも彼はリンチされて殺されたくないわけだから)。なのに、終盤の暴力や離婚騒動へと発展していく流れでは、私たちは彼に「裏切られた」とさえ感じるかもしれない。そして、幸せでない彼が、誰かを幸せにすることはできないのだと痛く感じる。仮にイニスがジャックの誘いにのって2人で牧場を経営しはじめたところで、彼は笑顔で暮らせるのだろうか?やっぱり社会の目に怯えてしまうんじゃないかなと思う。2人は確かに愛し合っていたけれど、ハッピーな「場所」はあの山の中にしかなくて、もう地表には見つけられないんじゃないかって。


男性二人、そして夫婦になった彼らのラブシーンが数回、それも変に色っぽくなく(けれどリアルな「愛の形」として)描かれていたのはすごくよかったと思う。奥さんを抱いている彼らもまた本物。そこがこの映画の大きな見どころというか、一番濃いメッセージが含まれている場面なのだと思う。子供を愛する姿も本物だしね。
以前友達(女の子4人で)二丁目のゲイバーを訪れたときの不思議な、「彼らも(そもそもが「彼ら」とくくること自体よくないんだけど)同じようにこの世界に住んでいて、それは私たちと一緒に暮らしているということで、もしかしたら電車で隣の席に座ってるかもしれないんだ」という感覚を思い出す。身近に感じる、という表現もあんまり上手な方ではないけれど少なくとも「ディズニーランドのミッキーマウス」とは決定的にちがっていた。



たとえこういった同性を愛する物語ではなくとも、アンハッピーなエンディングに対しては必ずと言っていいほど出現する大いなる疑問。
「じゃあ、彼らは出会わなければよかったのだろうか?」


出会ってしまったからには、「どうにかしてハッピーに」したいけれど、それが案外むずかしいと気づいてしまうのが、大人なのかもしれない。*