Bi-Bo-6

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記憶を記録 feat. 宇田川藍

「イメージの洞窟 意識の源を探る」 - 東京都写真美術館

リニューアルしてから初めての訪問だった。それと、現地まで車で行ったのでガーデンプレイス側ではなく南口から入館してみた。ミュージアムショップはこの2階部分に移転したのですね。

topmuseum.jp

 

わたしたちは普段、主に視覚から情報を得ていると言われています。
その視覚的情報を元に、個々人が“イメージ”を作り出し、重ねながら、ものごとを考えていきます。わたしたちの認識のベースには、複雑にからみ合い、洞窟のように入り組んだイメージが存在しています。しかしその実、同じ光景を見ても感じとることは人によって異なり、同じ写真や映像を見ても、異なる感覚をおぼえます。本展覧会は、洞窟をモチーフや暗喩にした写真や映像作品から、イメージや認識の作られ方を再考しようとするものです。

 

「写真を通してこそ見えてくる世界」というのは実際身近なところにあって、顕微鏡写真のようなミクロのものや、長時間露光で写した星々の写真などもこれに入ると思う。だから、意識してなくても、日頃から街なかの宣伝素材なんかでそういった類いの写真にたくさん触れているのかもしれない。AR/VR技術の発達とかInstagramの流行が、現代の視覚刺激過多な環境の延長線上にあるのかも、と考えるとまた面白い。

 

「自分の目で見たものだけが真実、ではない」ということを理解するには、時間がかかる。現に私達はソーシャルメディアのタイムラインに閉じ込められているし、伝聞ばかりだった時代から「百聞は一見にしかず」だと、視覚からの情報は絶対的なものとして信じられてきている。見えないものを見ようとしすぎると妄想的になってしまうかもしれない。内容によっては、目の前の物事を否定すると、鏡のように、その場にいる自分自身でさえ否定されてしまうような場合だってある。自分の半径5m以内に視線を向けるという行動は、とてもナーバスな感情を呼び起こす。*1

それでも、時には世の中を、目の前を、自分の立っている場所を、ゆるやかに懐疑しながら見つめる姿勢こそが向上心と新たな発見を導くのだと思う。

 

自分も、家族間(夫婦や親子)では、何らかの価値観を正義として決めつけたり相手に求めたりしてしまうことがある。同じものに触れたときの喜怒哀楽の強弱で、感性のつながりとその強度を確かめたくなってしまうのだけど、別の個体同士、どこまでいっても隙間なくくっつくことはできない。

子供という、最も近くて最も遠い存在がうまれたからこそ、これからも「視点の違い」を積極的に受け入れていかねば、と感じる日々である。

 

 

*1:SNSの投稿を定期的に全部消してしまう現象(人たち)っていうのも、こんな感じなのかな?

「樫本大進」プロフェッショナル 仕事の流儀

www.nhk.or.jp

 

「No Risk, No Fun」

「ビビるとかビビらないとか、どうでもいいんですよ。完璧じゃないから、おもしろい。不安があるから集中するんです」

「誰も開けてくれないんだよ、自分でやるしかないんだよ、開けるのは。止まったら終わりじゃないですか。上へいけばいくほど先が見える。常に不満でいないと」

 

羽生善治「将棋は長く続く伝統的な競技だが、盤上で起こっていることはテクノロジーの話。日進月歩しており、時代を経てトレンドが変化していると思う。」

羽生 将棋はもともとインドから始まってるんですけれど、アジアにはその国々の“将棋”が大体あるんですね。だから将棋といっても、たくさんの種類の将棋がある。ただ、日本の将棋は結構独特で、江戸時代は家元制度で家元称号が「名人」として世襲で代々継いでいたりした。茶道とか華道と同じような日本の伝統文化のカテゴリーになります。

ほかの国の将棋は頭脳スポーツという位置づけなので、スポーツのカテゴリーに入ります。これは歴史的な違いなので、伝統的な並べ方や作法やしきたりは、大切に残して良き伝統として次の世代につなげていくのがいいんじゃないかなと。一方で、盤上でやってることはテクノロジーと同じなので取り入れられるものは全部取り入れて進歩発展を遂げていくやり方でいいのかなと思っています。

wired.jp

 

記事タイトルは、竜王戦で勝利し永世七冠を得た12月5日の会見から。駒もルール決まっており、それが変わることのない将棋の世界、攻め方勝ち方には無数のパターンがあるだろうけど大きな「変化」はなさそうにも思える。それでも、羽生さんが言うように、時代(=プレイヤー)が移り変わることでたたかい方に明確な変化が起きるというのだから興味深い。