リニューアルしてから初めての訪問だった。それと、現地まで車で行ったのでガーデンプレイス側ではなく南口から入館してみた。ミュージアムショップはこの2階部分に移転したのですね。
わたしたちは普段、主に視覚から情報を得ていると言われています。
その視覚的情報を元に、個々人が“イメージ”を作り出し、重ねながら、ものごとを考えていきます。わたしたちの認識のベースには、複雑にからみ合い、洞窟のように入り組んだイメージが存在しています。しかしその実、同じ光景を見ても感じとることは人によって異なり、同じ写真や映像を見ても、異なる感覚をおぼえます。本展覧会は、洞窟をモチーフや暗喩にした写真や映像作品から、イメージや認識の作られ方を再考しようとするものです。
「写真を通してこそ見えてくる世界」というのは実際身近なところにあって、顕微鏡写真のようなミクロのものや、長時間露光で写した星々の写真などもこれに入ると思う。だから、意識してなくても、日頃から街なかの宣伝素材なんかでそういった類いの写真にたくさん触れているのかもしれない。AR/VR技術の発達とかInstagramの流行が、現代の視覚刺激過多な環境の延長線上にあるのかも、と考えるとまた面白い。
「自分の目で見えるものだけが真実、ではない」ということを理解するには、時間がかかる。現に私達はソーシャルメディアのタイムラインに閉じ込められているし、伝聞ばかりだった時代から「百聞は一見にしかず」だと、視覚からの情報は絶対的なものとして信じられてきている。見えないものを見ようとしすぎると妄想的になってしまうかもしれない。内容によっては、目の前の物事を否定すると、鏡のように、その場にいる自分自身でさえ否定されてしまうような場合だってある。自分の半径5m以内に視線を向けるという行為は、とてもナーバスな感情を呼び起こす。*1
それでも、時には世の中を、目の前を、自分の立っている場所を、ゆるやかに懐疑しながら見つめる姿勢こそが向上心と新たな発見を導くのだと思う。
「写真」という文字通り写実性の高いコンテンツを目の前にしてなお、どこまでも抽象的なことを考えてしまった。
生活を省みると、自分も、家族間では、何らかの価値観を正義として決めつけたり相手に求めたりしてしまうことがある。同じものに触れたときの喜怒哀楽の強弱で、感性のつながりとその強度を確かめたくなってしまうのだけど、別の個体同士、どこまでいっても隙間なくくっつくことはできない。
子供という、最も近くて最も遠い存在がうまれたからこそ、これからも「視点の違い」を積極的に受け入れていかねば、と感じる日々である。
『イメージの洞窟』を鑑た。"その実、同じ光景を見ても感じとることは人によって異なり、同じ写真や映像を見ても、異なる感覚をおぼえます。 " https://t.co/1PgZ4YLO22 (@ 東京都写真美術館 in 目黒区, 東京都) https://t.co/aLOJ01V2bX
— ウダガワアイ (@aimerci) October 25, 2019
"超"視覚的な作品群を見ることで、改めて自分(人間)の視野の狭さや、対象が秘める可能性に気がつくことができるーー写真美術館としては王道のテーマだけど、抽象度は低く30分+αで終わるのでとても鑑賞しやすく、良い意味で頭の小休止になった感じでした。
— ウダガワアイ (@aimerci) October 25, 2019