Bi-Bo-6

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日常のあれこれ

いま東京と東京論を問い直す ―首都機能から考える21世紀日本―

PLANETS vol.8

PLANETS vol.8

Kindleで300円はお得すぎるほどの良書でした。

藤村
代官山は、朝倉不動産という強力なプレイヤーがいる街ですね。お屋敷の持ち主である朝倉さんが独自の見識を持って建築家の槇文彦さんに「ヒルサイドテラス」の設計を依頼し、1960年代から継続して開発してきた待ちです。槇さんは区画の角や中央など、商業的に一番旨味がある部分をわざと抜いて、広場やホール、ギャラリーを置いて独特の風格のある町並みを育てたわけです。もしいま代官山が復活しているとすれば、そうした既存の蓄積の並びに新しい建築が一つできて、蔦屋書店が入居して、人が少し集まっているという程度の話じゃないですか。
速水
いや、1990年代以降の代官山というのは一度崩壊したというのが僕の見立ててです。それと、蔦屋書店ができて人が集まったわけではなく、再開発によって人が集まったところに蔦屋書店ができたんだと思います。

門脇
〜大バコ主義の話がでましたが、大バコというのはコンテンツコントロールがしやすいという特徴もある。例えば商店街がダメになったのは、事業という点でも土地利用という点でも、その主体が個人事業主や個人地権者に細分化されていて、全体としてのコンテンツコントロールブランディングが困難だったからという側面があります。それに対して、大バコは中身の刷新がすぐにできます。したがって、大バコではコンテンツがハコの中だけで充足するというか、完結的になります。JRはこれをさらに推し進めて、現在の駅直結型店舗は、鉄道内ですべての行動を完結させる装置として機能している。乗換駅での乗降客を鉄道内にとどめることを基本戦略に置いた駅ナカは、その典型です。そうすると、人のフローも鉄道ネットワークの中で完結しますから、駅から1キロぐらいまでの圏内にある商店街はたいがい瀕死の状態になる。これは駅界隈の開発によって路線自体をブランディングしようとした、かつての私鉄が敷いた戦略と対照的です。

そういう意味では都市空間の継続的な営みは失われ、以前よりも建築的になったと言える。「都市から建築へ」と言える変化があったのは間違いない。

門脇
〜今までの都市文化は特定世代と結びついていたわけですが(例:代官山と90年代のオリーブ少女)、その世代が中堅世代になってしまったとき、もはやその街は魅力的な文化を発信できる場所ではなくなってしまう。街を使う世代を更新できるかどうかは一つのポイントです。
中川
そうそう。ヒカリエの客層も「あっ、ここにいる皆さんが若いころセゾン文化とか支えていらっしゃったのか!」感あふれるアラフォー、アラフィフ天国〜

千葉市立打瀬小学校
福岡市立博多小学校
富山市立芝園小中学校

速水
麻布十番、西麻布、三宿といった駅がない場所は、そうやって読み替えて遊ぶ場所として発展してきた歴史がありますね。そういうエリアって、元々駅がなかった場所として、穴場として発展した感じですよね。タクシーで行くか、車で行く町。ここ数年の発展で言うと、東急本店前から代々木八幡にかけての神山町がバールの通りとして発展している。

宇野
先ほどの地理と文化の関係の逆転、「都市から建築へ」の変化と絡めて考えると、「××の街に行く」のではなく、「××という建物に行く」という感覚になってくるわけですね。鉄道網を基準に考えるとどうしても「××の駅前=街に行く」という発想になるけれど、自動車のアクセスなら「大きな駐車場のある××という施設に行こう」という発想に切り替えることもできるわけです。すると、今の鉄道網に支えられた東京とは別に、カルチャーの担い手になりうる建築に皆が車でアクセスすることによって、都市生活は十分まわっていくんじゃないかと妄想したりもするんです。今の東京都は別の"裏東京"を鉄道網の支える<昼の世界>の東京とは別の、自動車道路網の支える<夜の世界>の東京を。
中川
するとやはり、鉄道みたいな感覚で街のあちこちから思い立ったときに車をユビキタスに利用できる仕組みとして、冒頭の話題にもあったカーシェアリングの浸透が鍵を握ると思います。宇野君が言うようなライフスタイルを現実のものにするために、あれは格好のシステムでしょう。

中川
墨田区の場合、昔から続いている氏神様の大祭がある一方で、新規住民向けのストリートジャズフェスティバルやロハス市みたいなイベントも行われている。ここでは昔から住んでいる住民と新住民が集まる場所や祝祭が分かれてしまってるんだけれど、その中間を埋めるものが作れないかなって。

門脇
〜たとえば幕張メッセの前を毎日通る人は、空間体験としては一緒なんだけれども、出会うコンテンツはいつも偶然に違う。東京における移動パターンが特定のネットワーク構造により単純化されていったとしても、そこでの散策可能性は、偶発的に書き換えられるコンテンツの方が担保することになる。

中川
そういうコンビニが担う役割を拡張していくということだと思うんですよね。徒歩圏、小学校圏に関しては、コンビニが公民館機能や図書館機能を取り込んでいくと、新しいモデルになっていくんじゃないかな。
藤村
かつては小学校的なものと秋葉原的なものが対比されていて、今はコンビニと大バコができて、私たちのライフスタイルはその4象限を行き来しているという感じでしょう。

門脇
以前、新丸ビルの設計者に話を聞いたことはあるのですが、新丸ビルの事業計画は、最初のテナントの敷金・礼金だけでほぼ初期投資が回収できるように設計されている。これは新丸ビルだけに限った話ではないそうなのですが、要は都市開発としても使い捨てなんです。そうすると10年、20年経ったときに、これまで自分たちが排斥してきたはずの裏的な界隈性に救いを求めざるをなくなるという気がするんですね。そうすれば表と裏を接続する回路も生まれて、〜

宇野
ただ、僕は現実の空間に「いい街」ができることがそんなに優先度が高いとは思えない。僕はそもそも「地元を振興しよう」って考え方自体が本末転倒な気がするんです。要は生活や文化を支える中間的な共同体が機能していればいいだけで、「街」づくりは目的じゃなくて手段だと思う。〜じゃないと、どこまで行っても説教臭くてサムい「まちおこし」の域を出ない。