"2001: A Space Odyssey"
1968年/アメリカ/英語
出演
キア・デュリア/ゲイリー・ロックウッド/ウィリアム・シルベスター/ダグラス・レイン
キューブリック監督の作品は『時計じかけのオレンジ』以来。
そういえばペプシの企画はどうなったの?*1とか思いながら鑑賞しました。ちなみに英ヴァージングループは本気で宇宙船を就航させるつもり、なんてニュースも。*2
今回は夜中に横になりながら、BGM的に流しつつみんなで鑑賞する、というスタイルだったのですが、それがぴったりな映画だと思います。
この映画のおもしろいところは、BGMとしての役割(目と耳に心地よいということ)とSF映画の金字塔としての役割(科学的にもきちんとしている画面構成)、一見するところ対極に思えるような要素を*3両立しているところにあるのかなと感じます。
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感想は「分かれ道でおもいっきり悪魔の立ってる方の道を選んでつくっていった映画」。
BGMがなかったり画角や色合いが単調なところが本当にストレスフリーですばらしい。
やはり説明的であったり装飾過多な画面は、胃*4を痛める。
何もない事が、かえって鑑賞者の意識を研ぎ澄ませてくれるような、そんな風にさえ感じます。少しだけ、邦画的といえる様な。淡々としている描写が功を奏している素晴らしい例です。
ただ、これは「あのすばらしいキューブリック監督の撮った作品」という前フリがあってこそポジティブに受け取れるもので、おそらく映画館で観ていたら、かなり退屈でしょう。しかも音声に関しては本当はナレーションを入れるはずだったものを諸事情で入れられなくなってしまって、それで無音になったというだけらしいです。
色彩の使い方も非常に印象的。白・黒・赤を貴重にした宇宙船のインテリアなんかを見ると、「あーみんなが宇宙って言うとイメージするあの光景はこの映画がつくったものなんだー!」って腑に落ちます。これを見て育った人がNASAに入って、本物の宇宙開発に関わり始めたり?そんなこともあったのかな。
後半のワープっぽい映像とか、目の瞳孔がアップで映るシーンのビビッドな色彩、あとHALがエラーしはじめたときの「Emergency Red」。ちょっとサイケデリックな感じがして、その後のMVなんかに影響しているかもしれない。あのポケモンショックのパカパカも、もとをたどればキューブリックだと思えたら興奮しない?実際Tintをちょっといじればできる程度のお飾りで、ここまで強烈なインパクトを残せるのだから、もう発想の勝利です。余計なCGとかいらないよ。
最後の、ワープしてから「ここはどこだろう?」といった風に船内をさぐりさぐり歩く際のカメラワークなんかにも鳥肌。
文明の進化→投げた骨→宇宙船へのシンクロとか、
冬眠室のなかをひたすらランニングしているカット、
パンナムの作った宇宙船に今でいうパーソナルエンタテイメントの画面がついていること、
読唇術とHALの反抗、、
などなど作中のtipsには事欠かないと思いますが、
「ロボットの反抗」という一見チープなストーリーがこんなに活き活きとした表現で昇華されていることに大きな驚きがあります。
フィクションとノンフィクションの間をさまよっているかのような、独特の時間の流れがあります。夢の中、って言っても近いかもしれない。夢にCGはでてこないよね、といえばもっと肌感覚でわかりやすい。
SF映画といえば『COSMIC RESCUE』や『月に囚われた男』を観たことがあるけど、思い起こせば、どちらにもこの映画から影響を受けているような画が多くあったと思う。オマージュとまではいかないけど、「宇宙空間における人間たち」という描写では金字塔として存在しているんだろう。
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実はこの作品世に出たばかりの頃はあまり評価が芳しくなかったらしいです。(上記の「退屈」だと、まさに言われていたとか)。ゴッホなんかも亡くなってから評価された天才に分類されるのだろうけど、生きている間に◯をつけられなかった彼らは幸せだったのだろうか?やっぱり人って常々「当世での評価」に固執しちゃいがちなんだろうか。というか、何も考えずにつくっていけたら、よいね。最終的には最も欲に忠実なものでいいんじゃないかなと、最近よく思う。そのためには「わたしはどうしたいの?なにができたらしあわせ?」っていうところに答えを見つけなくっちゃね。
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いつでも、キューブリック監督の作品を観て口をつむぐ言葉といえば「いつ観ても新鮮」。
ただこれとまったく同じ作品が2012年に新作として公開されたら?そういう評価を得るだろうか?
「当時にしては斬新」という言葉、彼だけがまさか30年後を生きていたのだろうか。そんなわけないよね。
上記の「いつ評価される?」という話にも少し通ずる部分はあるけど、「どの時間軸を生きていくか」というのも大きな命題なのかなー。2010年にTwitterで「私は2010年らしく毎日をすごしたいんだ」みたいなことを書いていたんだけど、まあそういう感じなのかもしれない。逆に古書を読みふけって、徹底的に自分の精神を過去におくことで見えてくる景色・現代との差異なんかに生きがいを見つけるのもありだと思うし。
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映画監督って、映画撮るときに、そんなこと絶対思ってないと思うんだよね。「こう思わせてやろう!」みたいなさ。もちろん感動させたいとか、ちょっと泣かせたいとか、ファンタジックにして観客をその世界に狂信させたいとか…おおきなエンタメの軸とか意図っていうものは商業だから存在していると思うけど、受け手がどういうかたちで両手を広げるかは…自由な裁量にまかされている。私は映画の作品とまったく関係のない部分にインスピレーションを感じてしまっていたりするわけだけど、そこの「余白」こそが映画という産業*5の一番の魅力なのかもしれないなって思う。だってついったーでふぁぼられても、その人がなにを思って★つけたかなんて、わからないじゃない?そういう「くうはく」こそ、コミュニケーションというかキャッチボールの醍醐味なのかもしれないよね。もちろんそこで発言者の思ったことを、聞き手が感じる必要もある、でも、余白に目をやれる余裕こそが、その人自身の個性をかたちづくる気がしている。