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日常のあれこれ

NEWSWEEK '10 9.22

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2010年 9/22号 [雑誌]

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2010年 9/22号 [雑誌]

「中国の高速道路の総延長は今年までに6万㌔以上と、10年前の約4倍に延びた。今後2〜3年でアメリカを抜いて世界一に躍り出る見込みだ。
 一方で08年の世界銀行の報告書によると、中国の走行距離当たりの通行料はアメリカと同じ。アメリカの国民1人当たりGDPは中国の約15倍なので、相対的に中国の通行料は世界で最も高い部類に入ることになる。」

毛沢東「天の半分は女性が支えている」
「ワーク・ライフ政策センター(ニューヨーク)が2010年に入ってまとめた報告書によると、中国女性の75%が企業のトップになりたいと思っているのに対し、アメリカでそう思っている女性は半分余りにしかすぎない。職を持つ女性の割合は中国では77%で、アメリカでは69%だ。」
「中国にはもともと、女性が働くことを当たり前と考える文化的・歴史的伝統がある。」
「男にできることは女にもできる」と共産主義者が常に強調してきた。
毛沢東の革命は社会に計り知れない痛みをもたらしたが、女性の地位を高めたことは間違いない。」
「企業の経営幹部にも女性が多い。コンサルティング会社グラント・ソーントン・インターナショナルによれば、中国企業のおよそ10社に8社は、女性の幹部がいる。この割合は、EU諸国では2社に1社、アメリカでは3社に2社にとどまる。中国の企業トップの31%は女性だが、アメリカでは20%にしかすぎない。」

ストックホルム郊外に住む僕の近所で、そうした男性の多くが目指す先は誰でも利用できる保育所だ。自治体が運営する施設にはコーヒーが用意され、アドバイスをくれる保育士もいるし、子どもが遊ぶおもちゃもある。
 日によっては、おしゃれなTシャツにパンツ姿のクールなパパたちが床を占領している。部屋の片隅には内きそうなお父さんがいるし、キッチンスペースではタトゥーを入れた男が1人か2人、わが子にご飯を食べさせている。
 面白いのは、こうした父親たちは母親たちとそっくりだということ。話すのは子供のうんちや睡眠のこと、育児でどれほどくたくたか、子供がいつはいはいしたり歩き始めたかということばかりだ。」
「アルムクビストに言わせれば、スウェーデンにおける男性の育休習得率の増加は、「覇権的男性性」に「ささやかな変化」が起きている現状の反映と見なせる。
 覇権的男性性は社会を支配してきた概念で、肉体的強さや立派な肩書やプレーボーイ的生活が男の憧れだったのもそのせいだ。こうした男の理想像は、伝統的に男性と育児を結び付けない。女性に柔軟な態度を認めることもない。
「覇権的男性性においては、母親と幼い子供の絆が重視される一方で、父親は育児をする能力も必要もない」と豪ウーロンゴン大学の社会学専門家マイク・ドナルドソンは93年に学術誌セオリー・アンド・ソサエティーで指摘している。「愛情豊かに子供の面倒を見るのは男らしくないのだ」。こんな考え方は今のスウェーデンでは絶滅しかけている。」
「ダディーランドは永遠ではない。多くの母親と同じく、僕も仕事に復帰しなければならない。息子を保育所に預けると思うと心が沈むが、職場での新しい挑戦にわくわくもしている。願わくは僕の育休が娘と息子のこれからに意味を持ってほしい。複数の研究によれば、育休を取った父親は子供とより近い関係でいられるという。
 でも今は、昼寝と砂場遊びの日々が終わることをひたすら嘆いている。そしてダディーランドを訪れるチャンスをくれた福祉の国スウェーデンに感謝している。」

「国の財力も国際的地位も向上した今、中国政府は欧米メディアから無視もしくは中傷されていると感じることに嫌気が差している。そこで新華社の役割を見直し、国外でソフトパワーを行使するツールへと生まれ変わらせた。
 約80年の歴史を誇る新華社は、この1年間に英語による国外向けテレビの24時間放送を開始し、ニューヨークのタイムズスクエアにある高層ビルに新しいオフィスを構え、取材活動を拡大する計画を発表している(国外支局を120から200に、ジャーナリストを6000人に増やすという)。」
「明らかに、最近の取り組みはプロパガンダの新ルールに沿っている。かつてはニュースを抑え込むのが狙いだったが、今ではニュースを圧倒すること、市場に独自の情報をあふれさせることが目的になっている。写真を修整するより、よほど高度だ。」

自分語りが止まらない

 映画は本来、視覚メディアだ。一流の監督は、言葉を省いて物語を伝えるために視覚を活用する。アルフレッド・ヒッチコックは、何ページもの解説を要するトリックも1ショットに要約できた。名女優イングリッド・バーグマンは視線や微笑でヒロインの性格を伝えられた。だから会話は、人と人の関係を表現すれば良かった。
 だが最近の映画のいくつか、特に女性向けロマンチックコメディーは、演技を捨ててひたすら言葉に頼っている。
 登場人物は素敵な衣装を着てエキゾチックな場所に行き、その体験をしゃべったり書いたり、ブログにつづったりする。おかげで私たちは彼女たちの気持ちを正確に理解できる。たくさんの言葉で教えてくれるからだ。
 この傾向が始まったのは、一人称の語り口を多用した『ブリジットジョーンズの日記』(01年)からかもしれない。だが本格的に視覚よりも語りの力に訴えようとした作品は、テレビドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』の映画版だろう。主人公のキャリーは、自分の脳裏に浮かぶ考えも感覚もすべて口にした。
 09年の『ジュリー&ジュリア』では、ジュリー・パウエルのブログとジュリア・チャイルドの手紙からの抜粋をたっぷりと聞かされた。こうした作品の監督たちは、原作の文章をできるだけ多く詰め込めば原作に忠実でいられると考えているようだ。
 この手の作品は、だから芸術というより自己啓発フィルムのようになってしまう。誰もが自分の気持ちを素直に口にし、内なる矛盾や葛藤の入り込む余地はない。」
「この映画にリアルな人物は登場しない。真実味のあるキャラクターなら、時には自分の言葉と矛盾した振る舞いもするはずだ。所詮自分の行動の動機をすべて語るのは不可能だし、口を閉じたくなる場面もあるはずだから。」

「現代の演技者のほとんどは迫真性だけを追求する。古典的な役者は迫真性を、もっと大きく、もっと奔放で、もっと謎めいた人格を表現する手段と考えている。」
「―ニューオーリンズの「完全な復興」があるとしたらその定義は。
 住民全員が手頃な住居に住めること。優れた教育システム。そして安全な堤防だ。被災後も堤防の安全性を疑問視する人は多い。町が栄える条件は、どこでも同じだ。」