Bi-Bo-6

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日常のあれこれ

☆技術の正体 - 木田元

「二千五百年もの昔、すでにギリシアの悲劇詩人が、「不気味なものはさまざまにあるが、人間以上に不気味なものはない。」と歌っている。人間は技術を駆使して、海を渡ってどこまでもいくし、神々のなかでももっとも不朽なものだとされてきた大地さえもくまなく飽くなく鋤かえして疲れさせ、鳥や獣や魚を捕らえ、たくみに天災を避け病を癒すが、その技術が人間を善にも導けば悪にも導くからだ、と言うのである。(ソフォクレス『アンチゴーネ』)」
「われわれはこう教えられてきた。つまり、科学は人類の理性の産んだ偉大な英知である。もともと科学は実用などとは無関係に、ひたすら物を冷静に見つめることから得られる無垢な知恵だったのである。その意味では技術は応用科学とも呼べるものである。人類の理性が産み出したものを、人類が理性によってコントロールできないはずはない。われわれ人間には、この程度のものを理性的にコントロールする力は十分にあるのだ、と。」
 だが、本当はそうであろうか。人類の理性が技術を生み出し、その科学が技術を産み出したという、この順序に間違いはないのであろうか。しかし、ギリシアの詩人が不気味だと恐れていたのは、人類の理性の所産である科学技術などではなく、ただの技術である。科学が技術を産んだというのは間違いではないのか。むしろ、技術が異常に肥大していく過程で、あるいはその準備段階で科学を必要とし、いわばおのれの手先として科学を産み出したと考えるべきではないだろうか。」