Bi-Bo-6

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記憶を記録 feat. 宇田川藍

LX Jan 2013 vol.08

(石)たとえばランドスケープ的な手法というのは、建築と似ているようで違うんです。建築は大きなところからディテールまですべてを計画できるのに対して、ランドスケープでは、そのディテールである植木や置き石そのものを一からデザインする事はできない。建築でもそのような大らかさを持って多様性に富んだ設計をできないかと考えたんです。自分の手からある程度離れたものが持っている可能性と、自分でデザインできるものの可能性の両方を併せ持つプロジェクトなんだと思います。

(石)都市計画のような規模のプロジェクトや、超高層建築に興味があります。都市計画は、過去から引き継がれてきて、これからも発展していくべきものだと思っています。しかしながら、僕は、現在行われている二○世紀的な都市計画の手法が今の僕たちの時代に合わなくなってきているのではないかと思っています。もっと言えば「都市」という概念自体が今の時代にフィットしなくなってきているような気がしているのです。二○世紀のアクティビティには、都市的スケール感で建築を考える事がとてもいい具合にマッチしていた気がするのですが、現代における多くの課題や問題を考えようとするときに、都市というスケールがもう合わなくなってきている。たとえば、人々の仕事の範囲や移動のスピード、環境問題や情報の飛び交う範囲や量を考えてみると、それが分かる。もっと広範囲に物事を見るような価値観が必要なんじゃないかと。

(石)僕は、あまり良くない意味で「イベント的」だと思うのです。でき上がったときに瞬間的に盛り上がり、何かが始まる。しかし、その後、どのように発展していくかはほとんど考えられていない。最初がマックスで、その後は緩やかに衰退していくのみのような気がしています。とても残念な事ですが、おそらく、現在の東京の再開発を含む超高層建築計画は、少なからずそのような状況を孕んでいるのではないかと思うのです。実際そのような計画の中で建築家が関われる部分は、低層階とファサードくらいです。後はほとんどの事が事業性で決められます。そのような意味で「超高層」は、まだ、建築ではないと思うのです。その分可能性も感じています。

(石)理想を言えば、一つのデザインは一回限りしか使えないと思っているんです。クライアントや敷地が変われば条件が変わりますし、極端な話、東京と南極だったらつくられる建物の前提がそもそも違ってきますから。でも、同時に建築にある普遍的なものを常に見出したいという気持ちもあって、いつも葛藤しています(笑)。基本的には建築は長く残ってほしいと思っていますが、残していくカタチや、年月を経てどういう違ったつかい方ができるのかは、なかなか想定できません。だとしても残るであろう"何か"という抽象的な部分を常に考えて設計していきたいですね。