Bi-Bo-6

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記憶を記録 feat. 宇田川藍

ICC - 「インターネット アート これから」――ポスト・インターネットのリアリティ

http://www.ntticc.or.jp/Archive/2012/Internet_Art_Future/index_j.html


ICCで開催されていたインターネット系アートのイベント。
トークショーではdividualのお二人も登壇。


以下は私が知人に送った、トークショーのレポートです。

・「アートを社会に実装する」

・「パラレルワールド的な世界がそこにだけある」


この2つのキーワードが非常にユニークだなと感じました。

参加したトークショーのお題は「ビジネスとアート活動」だったのですが、
結論から言えば、つまりはそこに境目はなく、上記のように
「(自分が信じる"価値"を)いかにして社会に組み込んでいくか」こそがhave to thinkなのだなあと。


そこに「アート」や「ビジネス」といった大げさな括りをもたせるからどんどん方向が逸れていく。
(多少方向が逸れたとしてマスがそう認識するわけではありません。
 けれども感度の高い人達に気が付かれてしまうとか、
 本人とスポンサーの間で違和感を感じるとかそういったことは生じてきます。
 だからここの認識が重要かといえば大衆にとってはそうでもないし、
 活動の担い手からすれば非常に重要な価値基準にもなりうる。)


ただ、登壇者自身も、活動資金を貯めるのがすごく大変だと嘆いていたので
(ヨーロッパに住んでいた時期があるということで日本の現状との比較も含め)
資金調達の方法をまじめに考えなくてはいけないことも確かではあります。
彼らは2人組のユニットなのですが、株式会社で運営しています。
NPOも作ったそうですが、結局使わなかったそうで、
彼らのスタンスとしては「社長です、っていう仮衣で名乗ってるんだけど、
それは自分たちのやりたいことをやりやすくするための手段です」っていう認識だとか。

webサービスそのものがパブリックアートになっていく」

API化する世界」

Europeana (参考) 欧州文化遺産のマルチメディア図書館「Europeana」一般公開
DATA.GOV
Data│San Francisco
元のデータを「引用する」というかたちをとって、クリエイティビティの担保と行政のコストカットを実現させることもできる。サンフランシスコのデータでは、駐車場や犯罪率、母親向けの公園リストなどが活用されている。


展示そのものはちょっとカオスラウンジ的な様相を呈していたのですが、
全体的に感じたことは「アートとウェブが溶けこむようす」「素人と玄人が溶けこむようす」など、境界線が消えていること。
いずれも「溶けこむ」「混ざってしまう」などがキーワードだと感じます。
そこにある世界にはプロもアマもなく、よくも悪くも雑多で猥雑である。
そんな猥雑さこそが21世紀の真の姿なのかもしれないな、と考えたりもします。


谷口暁彦さんの『夜の12時をすぎてから今日のことを明日っていうとそれが今日なのか明日なのかわからなくなる』という作品は、タイトルはなんとも意味深ながら、時計と、その横に映像に映った時計がならんでいるというすごくシンプルなインスタレーション。おそらくキャプションには「映像の中の時計は、実存のそれとかぶり、「今」を表しているように見える。しかし、その映像が示すものは、紛れもなく過去(撮られた時)なのだ。」というようなことが書いてあったはず。なるほどと頷くと共に、「画面越しのリアルタイム・リアリテイ」をこれほどわかりやすく表した表現もないだろうなと感じます。その後見かけた以前のICCイベントの映像にて、津田さんが「野球場にいながら、ワンセグを見る。そうするとちょうど数秒の差が心地よい。リアルを行き来する。」なんてことを発言していました。私たちが画面越しに共有するリアルタイムはどんどん0.1秒を縮めていっている(Ustreamもある種のエポックかも)わけだけれど、その現実に一歩立ち止まって、俯瞰するチャンスを与えてくれる作品でした。


アーロン・コブリン+川島高さんの『1000セント』は大きなモザイクアート。
真鍋大度+石橋素&やくしまるえつこの『プロポーション』は光と音とテクノロジーが交差する。