Bi-Bo-6

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記憶を記録 feat. 宇田川藍

ノルウェイの森 - 村上春樹著

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)


「大学生のうちに1度は読むべき」というのは至言。

「自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」――永沢さん

「ねえ、お金持ちであることの最大の利点ってなんだと思う?」
「わからないな」
「お金がないって言えることなのよ。たとえば私がクラスの友だちに何かしましょうよって言うでしょ、すると相手はこう言うの、「私いまお金ないから駄目」って。逆の立場だったになったら私とてもそんなこと言えないわ。私がもし『いまお金ない』って言ったら、それは本当にお金がないっていうことなんだもの。」

「違うわよ。いくら私でもそこまでは求めてないわよ。私が求めているのは単なるわがままなの。完璧なわがままなの。たとえば今私があなたに向かって苺のショートケーキが食べたいって言うわね、するとあなたは何もかも放りだして走ってそれを買いに行くのよ。そしてはあはあ言いながら帰ってきて『はいミドリ、苺のショートケーキだよ』ってさしだすでしょ、すると私は『ふん、こんなものもう食べたくなくなっちゃったわよ』って言ってそれを窓からぽいと放り投げるの。私が求めているのはそういうものなの」

「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」

「でもたぶん好きというんじゃなんだろうな。あの人は好きになるとかならないとか、そういう範疇の存在じゃないんだよ。そして本人もそんなのを求めてるわけじゃないんだ。そういう意味ではあの人はとても正直な人だし、胡麻化しのない人だし、非常にストイックな人だね」

「彼の場合相手の女の数が増えれば増えるほど、そのひとつひとつの行為の持つ意味はどんどん薄まっていくわけだし、それがすなわちあの男の求めていることだと思うんだ」

「ビスケットの缶にいろんなビスケットがつまってて、好きなのとあまり好きじゃないのがあるでしょ?それで先に好きなのどんどん食べちゃうと、あとあまり好きじゃないのばっかり残るわよね。私、辛いことがあるといつもそう思うのよ。今これをやっとくとあとになって楽になるって。人生はビスケットの缶なんだって」

緑はサングラスをとって目を細めた。なんだか百メートルくらい向うの崩れかけた廃屋を眺めるときのような目つきだった。

「世界中のジャングルの虎がみんな溶けてバターになってしまうくらい好きだ」


映画の中で使われてたセリフも多い。
っていうか原作読んで、「映画より全然おもしろいじゃん!」と思ってしまった。
ワタナベ君は見事に松ケンだとも思った。


なんか村上春樹の小説を読んだのはかなり久しぶりで、3年ぶりくらいだと思う。
その間にはいろんなことがあった。別れてしまった元彼がちょうどノル森を読んだことがあって、そのあらすじをシーでアトラクション待ちの列に並んでる最中話してもらって「ひどい男の人だよー!」とか言ったなあとか。
まあ映画観た時の感想も「松ケンがモテるという素敵なお話」程度にしか感じなかったけど、原作を読んでかなり印象が変わった。というのも、「この人ちゃんと誠実じゃん!」っていうのが文面にすごく表れていた。緑に対してだってなかなか手を出さないようにしていたし、レイコさんとも節度のある付き合いだったし。
…という風に書いていくと気がつくのは、「セックスは"終わり"なのか?」ということ。それが早かったらバッドエンドで、遅かったらハッピーエンドになるのか?ということ。これに対する答えは私にはまだわからないけど、少なくとも言えるのは「(セックスをしたくなるほど)気持ちが募るのには、(時間なり、深い会話なりの)何かしら必要なモノがある」ということだと思う。そんなことわかってるよ!って万人が言うと思うけど、実際には互いが「男女」という時点で「求めあう」必要最低条件は満たしているわけだから、そのラインの上空にいかに目を向けられるか、だと思う。経験的統計的に見て、その「積み重ねの先にあった」セックスに満足があるということなのだと思う。その満足っていうのは、わりと振り返ってからの「うん、自分まちがってないな」という答え合わせのために設けられていたりする。


ビスケットの缶や「自分に同情するな」のくだりはやっぱり胸に響くものがあるけど、ちょっと説教くさい気もした。
このへんは伊坂幸太郎の小説に似ている気がする。「セックスによって真理に近づいていく」河崎さんとか。
こんなふうにへんなカリスマ性とか天才に酔っていたいっていう欲求は特に最近おもしろいなって感じる。その究極が「科学」の力だったり「宗教」のイエス・キリストだったりするのだろうけど。もっとも神様に関して言えば私たちがうさんくさく感じてるよりもっともっと身近な存在として認識されてる気がする、いわゆるクリスチャンの人々からすれば。英語とキリスト教も切り離せないしね…。


村上春樹の小説といえば、私が読みはじめた年齢のせいかも知れないけど、終わり方が微妙に感じたり、あんまり登場人物に感情移入することが出来なかったりで、もっぱら「日本語独特のテクニカルな言い回し」を楽しむものだと思ってた。「東京奇譚集」を手にとってみたのは高校生のはじめのころだったけど、衝撃的な感動はなくてまさにそんな感想だった。<やれやれ>とか<冷蔵庫を開けてパスタとクルトンを乗せたサラダ、それに白ワイン>みたいないかにもな春樹節に対しては、大学生になってからはどうにもこうにも「こいつナルシストだな」以上の感想を持てなくなってたし。
でも今回の小説に関して言えばわりと登場人物みんなに共感を覚えることができた。映画観たときはみんながみんな自分勝手なだけって感じがしたけど、小説によればきちんとした思考だったり理由に基づいての行動だったんだなと納得できた。男女共に共感できたのは彼の小説では初めてだと思う。
ところどころにやっぱり上記のようなかっこつけがあるんだけど、その「でたでた」なところがあるからこそ私たちに魅力的に映るのかもしれない、そういう意味で小説の中に「生命」があるのかな、と感じたりもした。