Bi-Bo-6

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日常のあれこれ

ブルーバレンタイン - デレク・シアンフランセ監督

"Blue Valentine"

2010年/アメリカ/英語


出演
ライアン・ゴズリングミシェル・ウィリアムズ


予告編がすばらしい。


★---

ネタバレあり


子はかすがいなのか?
"divorce"
一度は観ておくべき映画だと思う。
愛は「消える」ものなのか?そもそもが幻想なのではないか?


過去と現実、夢と日常。そのリアルな対比が心に痛い一方で、
愛犬や娘、彼らの両親や暫定彼氏などの人々が密に絡まり合う脚本の芸術性も味わえる。
この映画を観て、ただぽつんと感じたのは、「愛なんてエゴなんじゃないか?」ということ。ボビーだって超たよりないわけで。
ミシェルの演技には共感できるところが多くて、それは安心できる共感なのか、それとも「私もこうなってしまうのかな?」という不安な未来への暗示なのかは…まだわからない。


こういう作品を見たあと、どうしても「結婚するなんて飛んで火に入る夏の虫」という結論になるのはまさに現代病だと思う。




##
ミシェルって本当に美人さんだなあと思ってたら『ブロークバック・マウンテン』のときの奥さんで、現実にヒース・レジャーと家庭を築いていた女性だったんですね。とにかく世界一美人だと思う!




興味深いレビューがあったので引用します。

 ‘倦怠期’の夫婦間の問題は傍目からはなかなか理解できないということは『めし』成瀬巳喜男監督 1951年)で既に述べたのであるが、この『ブルーバレンタイン』の若い夫婦が抱える問題も傍目から見る限りでは圧倒的に夫のディーンの分が悪い。しかし既製の物語に囚われずに作品そのものを注意深く見るならば、必ずしもディーンだけに責任を押し付けるわけにはいかなくなる。
 事の発端は妻のシンディが檻にカギをかけることを忘れてしまったために家族で飼っていた愛犬が車に轢かれて死んでしまったことからである。この夫婦にとって愛犬が重要な意味を持つ理由は一人娘のフランキーがディーンの実の娘ではないことにある。つまりディーンにとっては愛犬が仮想としての夫婦の実の子供なのである。朝食の最中にディーンとフランキーがテーブルの上にじかにレーズンを並べて犬のように舌を使って舐めて食べるシーンは2人の悪ふざけというよりも、寧ろ死んだ愛犬を家族同様に見倣して一緒に同じように食べていたと捉えるべきであろう。
 そもそも家族に恵まれず高校を中退しながらも運送業に携わり、仕事を一つ一つ丁寧にこなしていた誠実なディーンが、結婚後に何故あのようになってしまったのか不思議なのだが、その前にシンディについて考えてみたい。
 元々医学部に在籍しており、将来は医者になるはずだったのであるが、何故か今は看護婦として働いているシンディに対する誰もが抱く疑問は、妊娠した時に何故父親であるはずのボビーに全く相談しないのかである。恐らくボビーのその後の言動を見るならばボビーの暴力が怖くて相談できなかったのであろうと推測できる。暴力をふるうのはボビーだけではない。シンディの父親も癇癪持ちで妻の作った料理が気にいらないだけでも怒鳴り散らす男である。シンディは初体験が13歳の時でディーンと結婚するまでに男性経験は25人くらいだと告白している。この人数が多いのかどうかよく分からないが、私はシンディは男性に対して恐怖心があり、その結果自らをネグレクトしていると思う。
 ディーンはそんなシンディの全てを受け止めて結婚するのであるが、7年間の結婚生活で2人には性交渉が一度も無かったのではないだろうか? ディーンが無理やり求めれば出来ないことは無かったであろうが、それはシンディがいつも他の男性にされたレイプまがいのものになってしまい、それは誠実なディーンが望んでいるものではない。愛犬がいる間はディーンはその愛犬を2人の子供と見倣して絆を保つことができたが、シンディの愛犬に対するネグレクトのためにディーンは改めて2人の子供が欲しくなる。しかし状況は変わらないどころか7年間でディーン自身がシンディにネグレクトされていたためにすっかり心が荒廃していたのであり、そのことに気がついたディーンは自ら家を出ていくのである。
 ネグレクト(=無関心)というなかなか表面化しない微妙なテーマを上手く映像化していると思うが、残念ながら見ていて楽しくない。
    ――一味違う「犬の映画」