Bi-Bo-6

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日常のあれこれ

英国王のスピーチ - トム・フーパー監督

"The King's Speech"

2010年/イギリス/英語


受賞に際してのスピーチでコリン・ファースが「この映画は批判されたことがない」と言っていたのが印象的でした。同時に「非常に教育的で、適合しているんだ」とも。


内気というか短気というか劣等感というか、人の心って複雑だけど、憎めないよね、みたいな感じ。


★---

ネタバレあり


個人的には「ソーシャル・ネットワーク」を推していた2011年の米国アカデミー賞で作品賞、そして主演男優賞を受賞したのがコリン・ファースだったこともあって、すごく気になってた作品。だけれどストーリーを知っていたのと、描かれている場所や時代がわりと見慣れている気がしてしまっていたので食指が動かずにいたのが正直な気持ち。なんとなく「地味」(言い換えると硬派)なイメージが先に来すぎてて、目新しさを感じられなかったんだよね。


でも、観てからは印象ががらりと変わった。それはなんでかって、もう主演・助演の3人の演技につきる。彼らの演技、バランス、そして脚本などすべての要素において、あたたかな「人間味」を感じることが出来る作品で、「3人共に」感情移入できるんだよ。ここ、すごく重要な気がする。いわゆる娯楽作品といえば敵と味方みたいなものが分かれていることって多いと思うけど、そういうクセのある(向こう側に感じがちな)登場人物に対しても「あ、私たちとおなじ人間なんだ」って思える瞬間のうれしさには独特のものがあると思う。もちろん制作側としては、「観客(の移入先)をどう誘導していくか」っていうのは考えているはず。この作品がそういう風にみんなの気持ちに入り込めるようになっているっていうのは、直接的にそう意図したものというよりも、「full of love」の感性で作られたものだから、という気がする。意外に「愛」とか「love」を主題に置いていなさそうな作品にこそ、ささやかな愛情が「なくてはならないもの」「always with」な対象として描かれている。


"本当にあった話"をもとにして脚色が云々…というのは先日観た「ビューティフル・マインド」と本当に同じ流れで、こういった作品にはどこまでもついてくる話題。今回だったら吃音症の本当の姿だったり、原因云々のくだりや治療法、そして英国王室の史実との対比。ある程度を「演出」や「制作者が伝えたかったこと」というくくりで受け入れることは充分に可能だと思うし、映画の補足として現実との差異などの知識をきちんと抑えておくことは、作り手側への私たちなりの敬意の示し方でもあると思う。
ジョージ(バーティ)・エリザベス妃・ライオネルがゆたかな信頼で結ばれていく中で、彼らとの政治的対立を描かれているのが、父ジョージ5世やエドワード8世・その未来夫人ウォリス…彼らの間に実際にはここまでの対立はなかったそう。ただ、エドワードさんに執政のセンスはあまりなかったと言われている…らしい。
エドワードさんの「Love or King」のくだりがかなり好きだったりします。イギリス王室!って感じのいいスキャンダルだと思う。なんかバカ正直っていうか、みな気持ちに忠実というか、微妙にあこがれる。ただし、イギリスの王室に関して言えばとくに、あこがれをもってゴシップ的にさわぐのと、本当のパパラッチの被害とのあいだにいろいろと溝があって、笑ってられる話ばかりでもない気がするけど…


シェイクスピアのセリフが散りばめられているのも憎い。彼らの心情にうまくかぶってたりするし。
あとバーティの精神が不安定すぎて、こっちが不安になる。
「きみは資格もなくて…」のくだりは、ちょっと胸が痛む。でもやっぱり秩序っていうのは「認められる」上に存在するのかな、きちんとした後ろ盾は必要なのかな、と感じたりもする。そのあたりは"イギリス社会"を「古くて堅苦しい」と捉えるか「秩序だった正当な市民社会」と捉えるかで変わってくる。
どなたかのレビューに書いてあった、「王室」という逃げられない運命の中で…という条件もまたこの映画に輝きを添えているという解説を読んで目からうろこだった。山場は多々あれど、最終的には立場の違いを超えて結ばれた友情のようなものも、ばっちりと二人の表情の中に見ることができる。


ロンドンの霧の街っぷりがやばい。なんかね、空気がわるい。そりゃあコート着こむわって思ったし、そういう小道具や風景なんかもわりとディテールに細かくて20世紀前半のおしゃれ・文化も楽しめる、カメラワークもすてきだし音楽もしっとりしていて…やっぱり栄光に輝く作品だと実感する。エレベーターに乗り込むシーン、ペンギンのおはなし、車のなかでマシュマロ食べるシーン、ごろごろころがっていたりエリザベス妃がお腹に座ってるシーン…ユーモアにもあふれていて、印象的な場面もたくさんある。ショットでいえば、吹き抜けの上から(医師のアパート)、下から(お引越しの準備をする邸宅)と撮っていた2箇所が記憶に残ってる。ちょっとほろりとするのがライオネルが雨の日の家のなかでヨーク公をずっと待って、仲直りしようとするシーン→そして家族にご対面、の流れ。そういえばこの「待っているけど会えない」シーンでは鉄板の「雨降り」が使われているけど、こういう「演出」ができるのがフィクションの強みだと改めて思う。現実の日常生活では、たとえ第一志望の企業からお祈りされた日だとしてもからっと晴れていたりするものだから。


それにしても当時の日本(1030年代くらいまで?)って本当にイギリスバカって感じする。すごく真似っ子。…人のこと、言えないよね。*