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日常のあれこれ

十二番目の天使 - オグ・マンディーノ

十二番目の天使

十二番目の天使

Never, never, give up!
Day by day in every way I am getting better & better!
――by Timothy Noble

朝になったら目を覚ましてベッドから起き上がる理由?人間であれば、誰もが当たり前に行なっていることだ。それにいったい、どんな理由が必要だというのだろう。しかし人間は、ときおりそれが必要になるときがある。私はそれを、よく知っていた。

「ところが、いいかい?その一方で葉っぱや枝を失う悲しみを乗り越えて、そんなものはさっさと自分から切り離して、すぐにまた充分に息を吸い、歌い、笑いながら、きれいな花を延々と咲かせ続ける連中もいるんだ。神が彼らを生かし続けている限り、そうやって彼らはすぐに元気を取り戻し、与えられた人生を有意に生き続けるのさ……」

「ジョン、あいつのハートは、どれほどでかいんだろうな。あんなちっちゃな体に、神もよくあんなものを入れられたもんだよ」

「ところで、ご褒美って何なんだ?楽しむためのものさ。楽しめないご褒美なんて何の意味もないよな?だから、このご褒美をたっぷりと楽しむとしよう。いいな?今日の試合に勝とうが負けようが、太陽は明日もしっかりと昇る。お前たちの人生の一番いい時期は、まだまだ先の話なんだ。…」


著者のオグ・マンディーノには「世界中で最も多くの読者を持つ人生哲学書作家」という形容がついている。
中古で買った私の本の奥付には2001年4月初版、2001年9月第15刷と書いてある。確かに大ヒットしていた記憶。
(余談だけど当時うちの家族は金剛地武志が出ていたテレバイダーというMXTVの番組を楽しみに見ていて、そこで毎週やるベストセラーランキングの首位が、半年くらい本書だった。)
ブックオフの100円ハードカバーの棚で見つけてふと買ったのがたしか1年前くらいだと思う。



これはまだ一部の人にしか知られていないことだけど、
最近、あまりアクティブじゃなくなってきたように思う。
「Moving is Living.」(Up in the air)というセリフに感銘を受けたように、きれいに20歳くらいまでは非常に経験主義で、あらゆる人に出会いあらゆる物を見聞きし感じることが「最優先」であると捉えていた。「自分の感性を信じろ」ということばも好きだった。家にいる時間が少なければ少ないほど、元気だった。家は寝る場所でしかなかった。


ところがその生活にも終わりがくる。あくまで創造的破壊なんだ、というのは希望的観測です。
今の私はあらゆるアクションに明確な着地点を求めているように思う。新しいことを取り入れ、膨大な数の人々に新しく出会い、飲み食べ遊んできた。がむしゃらにやってきたことが、一周まわったように感じてる。wanna doからwanna beとはよく言うもので、まさにその転換点のような気もする。自分のちっぽけさや実力不足を知ることができる機会に出くわしたことは幸せなんだ、必要な経験だったんだと、確信に変えるためにも、「羽化したあとの姿」を描こうとしている。


自分が変わると、同じ景色を見ても感じることが変わったり、人と接するときに考えている頭の中にも変化が生じてきたりする。
そんな変化をたのしめるようになりたい。
「21でもすごくしっかりしてるんじゃないかな」「大丈夫だと思う」と、(8割方お世辞だろうと思うが)言われてきた身として一度かたまりかけていた自分というものが崩れるのは、また次のステップへの大きな足がかりになっているんじゃないかなと思ってる。


ハイデガーによれば

私たちは自分が「どんな存在であったか」から、「どういった存在であり得るか」をめがけつつ生きているのであり、ここに人間が時間的存在であるという事実が明らかとなる。

「可能性」の中で生きている、生き続けたい。