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日常のあれこれ

NEWSWEEK '11 7.13

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2011年 7/13号 [雑誌]

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2011年 7/13号 [雑誌]

選択肢は2つ。変化を受け入れるか、破滅に直面するかだ。/ギリシャパパンドレウ首相――議会での緊縮財政法案の採決直前、議員たちに呼び掛けて。EU支援の条件だった緊縮財政は可決されたが、国内では反発が広がっている。
普通ならあり得ないような行動をアルコールが引き起こすという格好の事例だ。/米オハイオ州の保安官ウォルター・デービス――酒に酔って車に立て篭もった女性が、降りるように求めた警官に向かって母乳を吹き付けた事件について。

軍事費をGDP比2%以上に保つというNATO加盟国の合意
フィリピン経済はわずか人口の1%を占める華僑に牛耳られており、そのことが反中感情につながっている。


どちらかが優位に立つ関係でなくても、妻が専業主婦で夫は稼ぎ手、とならなくても、2人が長期にわたり愛情と性的な絆を結べることを示してくれる。結婚は「平等な契約」になり得ること、少なくとも初めから不平等が組み込まれているものではないことを、同性婚は意味している。保守派の言うとおり、同性婚は異性婚を変化させる。それも良い方向に、だ。

花嫁と婚約指輪の美しくない関係 - Diamonds Are a Girl's Worst Friend

 ウェディング業界が演出する、いわゆるアメリカの「伝統的」結婚式は、うさんくさい小物だらけ。カップルの写真入り切手に、愛犬の体に巻き付ける結婚指輪用のリングピロー、「ラブミント」なるキャンディーの引き出物……。その極めつきが婚約指輪だ。現在アメリカ人新婦の80%以上が、ダイヤモンドの婚約指輪を受け取っているとされる(平均3200ドル)。だが永遠の愛という夢のような約束を別にすれば、その意味を真剣に考える人はほとんどいない。まばゆいダイヤモンドの指輪を差し出されたら、意味なんて聞くほうがやぼというものだ。でも今は男女平等の時代。女性しかもらえないことを考えても、婚約指輪が時代遅れだという主張には説得力がある。だが婚約指輪が悪趣味な慣習どころか有害にさえ思える理由は、その破格の値段であり産地の怪しさであり、消費者を惑わすあくどいテレビCMや雑誌広告だ。何しろ最近、ダイヤモンドは本当の意味で「永遠」に人生に付いて回るものになりつつある。男性は妻に結婚25周年の指輪を贈らなくてはいけないと知らされる。独身女性は、男性がくれるのを待たずに自分に「ご褒美」をあげるのがかっこいいとあおられる。一定の所得層以上の女性は、100歳まで生きたら全部の指にダイヤモンドが光っていても不思議はない。
 宝石業界に言わせれば、ダイヤモンドを売り込むのは「そこに欲望があるから」だ。しかし欲望は常にあったわけではない。ダイヤモンドの婚約指輪という「伝統」は意外に新しい。起源は古代ローマだが、ヨーロッパのキリスト教徒に広がり始めたのは13世紀のこと。それがアメリカで見られるようになったのは、南アメリカでダイヤモンド鉱山が発見され、価格が下がった19世紀後半以降のことだ。アメリカ人のダイヤモンド熱に本格的に火を付けたのは、デビアス社がアメリカの大衆向けに展開した広告戦略だ。1930年代、デビアスは20年来の売上低迷にあえいでいた。そこでアメリカ最古の広告代理店N・W・エイヤー&サンが、全国的なキャンペーンを企画した。ハリウッド女優たちにダイヤモンドを身につけさせ、ファッションデザイナーにダイヤモンドを取り込んだ新しいトレンドを考えさせた。
 そのかいあって、1938年からの3年間でダイヤモンドの売上は55%増加。45年までに平均的な花嫁は「ダイヤモンドの婚約指輪とそれに合うデザインの結婚指輪」を着けるのが一般的になったとされる。47年、このトレンドを決定付ける宣伝文句が登場する。女性コピーライターのフランシス・ゲレティーが書いた「ダイヤモンドは永遠に」だ。こうしてアメリカの結婚を特徴付ける「ロマンスとコマーシャリズムの結婚」が定着した。
(日本で有名な「婚約指輪は給料の3ヶ月分」もコピーが発祥。同じくデビアス社。70年代)
65年までに、既婚のアメリカ人女性の80%がダイヤモンドの指輪を持っていた。婚約の必須アイテムというだけでなく、男性側のステータスを示す明確な目印でもあった。この間に婚約指輪の価格の「目安」は新郎の給料1ヶ月分から2ヶ月分に跳ね上がった。しかし広告代理店の戦略が成功した背景には、より複雑な社会的現実があった。アメリカでは30年代まで、婚約を破棄された女性は名誉毀損訴訟を起こして損害賠償を求めることができた。だがこうした制度が廃止されるようになると、男性側に「本気度」を示す高価な証拠を要求する風潮が生まれた。そこでダイヤモンドの指輪が贈られるようになったのだと、ノートルダム大学法科大学院のマーガレット・ブリニグ教授は言う。ブリニグによれば、指輪の売上増加はデビアスの広告キャンペーンが始まる数年前から始まっていた。当時、結婚の条件の一つとして女性は処女でなければならなかった。しかしかなりの女性が婚約中に処女を失っていたと、ブリニグは言う。だから女性にしてみれば、男性が自分と寝たいために結婚の約束をし、「用済み」になったら捨てられるような事態を避けるため、それなりの保証が必要だったわけだ。
 こうした歴史を考えると、現代の花嫁がダイヤモンドの婚約指輪を受け取ることに慎重になってもおかしくない。処女性はもはや結婚の必要条件ではないし、そもそも大部分の女性は「結婚の資格」を満たしていることを自分のアピールポイントとは考えていない。多くの女性は結婚後、家事と子育てと家計を夫と平等に分担したいと思っている。婚約指輪の歴史はこうした現代の結婚の枠組みにそぐわない。
 むしろ婚約指輪をはめている女性は、男性を金銭的保証という檻に閉じ込めておかなければ万一別れたときに痛手を受ける「か弱い存在」だと、周囲に示唆しているようなものだ。女性がまだ結婚に同意していないのに、男性に年収の6分の1をはたかせて、女性と未来の家族を養えると証明させるのも平等とは言えない。男女の平等に関する微妙な問題なんて気にならない、という人に言わせれば、婚約指輪は女性の性的価値を物語るものだ。同時にそれを身に着けている女性は「お買い上げ済み」であり、「立ち入り禁止」だと示すサインでもある(男性は結婚するまでそうしたサインなしで野放しにしておいてもらえるのだが)。それでも婚約指輪に根強い人気がある理由の1つは、「誰かに見せびらかしたい」という顕示欲を満たすからだ。比較的平等な環境で育てられた現代の若い女性が、親から受け継いだ伝統の意味に無頓着なのも理由の1つかもしれない。彼女たちは婚約指輪を単に美しい宝石のコレクションの1つと受け止める。
 しかしその輝きの中に、もっとよどんだ真実があるのも事実だ。女性は男性とは違って、いまだに結婚との関係で自分の価値を推し量っている。多くの女性は自分を養うという重荷を背負ってくれて、さらにそれを証明するゴージャスな指輪をくれる男性を探しつつ、ほかの部分では平等を要求している。女性は婚約指輪が与えてくれるステータスに執着しているのだ。そうでないなら、もっと多くの女性がもう少し「平等な」愛の証を男性に求めるだろう。例えばタトゥーとか。