Bi-Bo-6

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日常のあれこれ

ノルウェイの森 - トラン・アン・ユン監督

"Norwegian Wood"

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

2010年/日本


出演
松山ケンイチ菊地凛子水原希子高良健吾玉山鉄二霧島れいか


原作を読み終わる前に観ました。
映像の美しさが、そのまま彼らの心の中を写しているみたい。
さまざまな心情に沿うような、雄大な自然の描写がとても心に残ってる。
日本ならではという風景がたくさん。


原作にたくさんある良いところを「引き出していった」作品。
それって例えば――
なんていうか、人生で大事なことを学べるとか、勇気が出るとか感動するとか、ちょっといい場面があるとか、普通の映画にありがちなそういうエデュケーショナルな部分がまったくなくて、まったく押し付けがましくないところ。淡々と描いていくところ。必要以上の情報を乗せないところ。
これは私が村上春樹の小説を好きな一番の理由なんだけど、そしてこの映画はそれを忠実に継承してると思った。


全体を通して押し付けがましくない感情の動きは、逆に言うとやっぱり現実からは少し浮いていて、
物語の世界と、私たちの日常との間に「スタイリッシュな溝」を作り出しているなあと、強く感じました。

「100パーセントの恋愛小説」とは、ほんとうは『羊』『世界の終わり』とはラインが違うという意味で「100%のリアリズム小説」と書きたかったが、無理なので洒落っ気で「恋愛小説」という実体のない死語を引っ張り出してきた。
   ――Wikipedia "ノルウェイの森"

この言葉を読んで妙に納得。
村上春樹の作品って愛情表現の描写が独特だし、わりと濃厚だけど、
この作品に出てる彼らがあまりにも四六時中そんな事考えてるみたいな描き方で、
「あれ?彼の作品いくらなんでもそんなに性的なことばっかりだっけ?」って思った…、
というよりはたぶんこの監督の人がすばらしいから、何気ない動作や言葉遣いに「いやらしさ」を醸し出せてたんだ思う。


レビューを読む限りでは映画としての完成度はあまり評価されていないよう。
やっぱりこの「浮いてる」感はむずがゆいっていうことなのかも。
個人的には「日本らしさ」を嫌味なく描いてくれたと思うので、一見の価値はあると思います。
エンターテイメントかっていうと、ハテナ。
というか私はそもそも村上春樹にエンターテイメント性を感じたことがないから、これは期待できない。

それにしてもはてな界隈のレビュー、簡潔で切れ味がいい。


★---

あとはネタバレ。
解釈がすごく個人的。
映画っていうか原作含め「ノルウェイの森の人たちってこんな感じかなあ」っていうの。




★4.5
とても厳かすぎて最後の3分間こっくりしてしまったから。私のせいです。
原作の終わり方もあんな感じだと一緒に観に行ってくれた友達が話してたから、読み終わるのが楽しみ。

トーリーは、「松ケンチートなギャルゲー」だって思いました。

たぶんこの作品に関係なくて、村上春樹の小説って女の子が空から降ってくるシチュエーションが多いと思う。それが映像化されると、「(たしかに松ケンはかっこいいけど)こんな欲っぽい女が知らないうちに集まってきてる図」という不可思議。
その流れで言うと彼の作品に出てくる女の子もまた、どこか二次元的っぽい空気があって、「感情表現がやたら激しい(現実の女性とはちがって年齢のわりに精神年齢が幼くみえる)」とか「見た目や思考回路は中性的(自意識のわりに物事の見方は冷めてる)」なのに「言葉遣いが超女性的(自分の女性性をすごく自覚している)」とか。
あとすごく可憐な女の子が男の人に覆いかぶさってくるというシチュエーション。
凛子さんの演技はとっても良かったし少し感情移入することもできた。そんな彼女は映画(友達は"二次創作"だって言ってたけど)の中の世界に存在するナオコならOKなのに、どうしてか原作のセリフを引用すると違和感があった。例えば「私、二十歳になる準備なんて全然できてないのよ。変な気分。なんだかうしろから無理に押し出されちゃったみたいね」みたいな長回しのセリフを、早口で言うとすっごい違和感がある。話下手な彼女がペラペラと話すシーンはこの時くらい。実際は誕生日の夜に寝るまでぺらっぺらとしゃべっていたエピソードが原作にはあるけど。
それは凛子さんのせいでは決してなくて(むしろ前述したようにとても繊細ですてきな演技でした)、村上春樹の描く「女性」そのものが三次元の世界には来ないほうがいいんじゃないか、ということ。
これはミドリにも感じた。原作の「ひどく髪のみじかい」女の子だったイメージとちがったのもあるし、「もしあなたが自叙伝を書くことになったらその時はその科白使えるわよ」というセリフがあまりにも早口だったこと。
私のなかで春樹の作中に出てくる女の子のしゃべりは、おそろしいくらい遅い、のんびりとしたイメージだった。小川のせせらぎみたいな。しゃべりの速さってその人の精神的な心拍数が表れるよね。ワタナベくんはいつのときもワンテンポおいてから「‥もちろん」みたいな感じで、それがちょうど優しいイメージにぴったりだった。
しかも、文章として書かれた言葉運びは、実際口にするには向いてないし、それは逆もしかりなんじゃないかと思う。だからおもいっきり口語を表記したケータイ小説に違和感を感じるし、いかにもな文学を口に出して読むと小恥ずかしい。文章だけで表現されたものを映像にするって、難しいね…


原作がワタナベ視点だし、映画でのカメラワークもワタナベ目線が多いし、あくまでも女の子は「謎に包まれた妖精」であるべし、なのでそこまで丁寧に彼女らを描写できない、仕方ない部分もあるかと思います。そしてこれだけ「本から飛び出した村上春樹的女子」を否定しておいて何だけど、よく物語にある「この女の子は悪役」という表現はないし、どの女の人にも一定のリアリティを感じました。むしろ女の人が内面に隠し持っている欲を「こんなに抉り出されてしまった」と思うように、びっくりするぐらいエグく取り出せてると思う。ただそれを違う視点から切り取ったのがこの劇中の3人というだけなんじゃないかなあと思います。もとをただせば同じ欲だということ。女性っていうものをリトマス試験紙でテストすれば、「愛するよりも愛されたい」という強烈な色が出てくるんじゃないか、ということ。
あと「寝る」って言葉が多用されるけど、この言葉は男女が50:50な感じがしてすごくフラットな表現に思う。する/されるって表現じゃないから。

松ケンの演じるワタナベくんは

めっちゃ「ザ・村上春樹の世界に生きる主人公」という感じ。
最初に書いたけど紳士的でなぜか女の子が寄ってきて、(主に女性関係でつく)ちいさな嘘をむりやり正義にできてしまう。特権階級に属する男の人を友人にもち、女性限定で八方美人になれるというのは、非常にリアルで、ある意味ではヒーローなんじゃないかなと思う。そういう男の人を嫌味なく演じてて不思議なフェロモンを出してた!現実で女性の3歩後ろをあるく男性を見かけたことってあんまりない。
両方の女の子に言い寄られて、どっちも断れないって、ふつうの人だ。そこが、変に着飾った感じがなくていいのかもしれないけど。
ナオコが死んでしまってから断崖絶壁のところでわんわん泣いて暮らしてるシーンがすごく印象的。もう失う物はぜんぶ失って、丸裸で荒波の近くで寝起きして、「愛してる」を感じたのはこの大泣きをしてたシーン。限界まで「死」に近い空間まで行ったけど、飛び込むことをしなかったのは、やっぱりキズキの自殺を意識して、「おれはがんばるんだ」と考えていたからなのかな。
あれ、最後のほうはミドリのことはどう思ってたんだろう。小説読もう。

菊地凛子さんの演じるナオコは

草原のなかいったりきたりして「キズキくんのことは好きだったのよ…彼のことは愛していたのに!」「あの誕生日の日、私はずっとあなたに抱かれたいと思ってた」ってシーンが一番好きで、ナオコの心に触れられたような気がした。あと季節が下って痩せた演技がリアルすぎた。ナオコがワタナベくんとのセックスに執着するのは、さっきのセリフにある「本能的にはワタナベくんを求めてるのかしら…」みたいな欲求を抑えきれないっていうのと、キズキのときに満たされなかったものを、何としてでも感じたくて…でもふと気づくと目の前にいるのはワタナベくんで、やっぱり罪悪感がある…みたいな気持ちの揺れもあるのかなと思った。自殺したのは、キズキの後追いなのかな?
単純に「好き」や「守りたい」とかって気持ちで繋がっていたのもあるけど、もう一つ下の階層にはワタナベくんはワタナべくんで「僕はキズキみたいに彼女を悲しませないぞ」という執着心があるし、ナオコはナオコで「キズキを愛していたことに理解がある上で受け入れてくれる」みたいな気持ちも2人の中にはあったのかなーって。
最初に再会するシーンでワタナベくんはナオコの横顔に「一目惚れ」してしまったし、ナオコは誕生日の体験があるから、そこから「ワタナベとナオコ」の恋愛レールは敷かれてるんだけど、どうしても「キズキとナオコ」「ワタナベくんとキズキ」のしこりは取ることができなかったし、2人とも別に取りたいとは思ってなかったと思う。で、ちょっと悲劇的になっちゃったよって。

高良健吾さんの演じるキズキは

最初出てきた時かっこよすぎてやばかった。なんかフィッシュストーリーで観たときより全然かっこよくなった気がする!!文句なしで!自殺するときの描写がすごい真顔のままでクールだった。結局ナオコとできなかったから死んじゃったのかなあ?「体は正直」っていう常套句が悪い方向にはたらいてしまったのかなあ?永沢さんに見た目は似てるのに(髪型違うけど)、性格の対比がユニーク。

玉山鉄二さんの演じる永沢さんは

もうこの字面を見た時から磁石の永沢さんしかあたまに思い浮かばなかったんだけど、違ってて安心した。てか大学生とは思えない色気だし。詐欺。あと小説読んでたときはそんなにチャラいイメージじゃなかった(一応仲良くなったきっかけが読書だし)のに、映画だとすごいチャラくなってた。ハツミさん以外にどういう女の子と遊んでるのか(ハツミさん系の清楚な人なのか、ミドリみたいな肉食なのか)、見てみたかった。「結婚する気はない」って言われて、付き合ってたハツミさんは、「いつかは私の想いが届くはず」(「私じゃ満足できないの?」って聞いてるから、本当はいろんな女の人と遊ぶのが嫌だったのかなって思う)って考えてたのかな。

初音映莉子さん演じるハツミさんは

最後のタクシーのシーンで映った唇が「私だって本当は他の男の人と寝たい時があるのよ、でも良心がとがめるのよ」って言いたがってるように見えた。ワタナベくんをちょっと誘ってたけど、彼が全然ふつうだったのが寂しそうだった。「いろんな人と寝れる=いろんな人から好かれてる」みたいなイコール関係が、この2人の価値観のベースだったんじゃないかなって思う。そこは共通だったから、ハツミさんは永沢さんを「いい男だ」と評価するしかなかったし、かろうじてつながっていられたのかなって。

水原希子さん演じるミドリは

「思わせぶりだけど最後のひとことは言わせたい」タイプで、ワタナベくんに襲って欲しかったんじゃないかなと思う。とにかく髪の長さがふつうだったから拍子抜けた。もっとぴょんぴょんして、「そうは見えないのに」って感じなのかと思ったら、すっごくふつうにかわいかった。「お父さんは私を愛してなかったのよ」は中二病ワードに入りそう。髪飾りがすてき。でもなんで変態なの?

霧島れいかさん演じるレイコは

クセがない役!小説で私が読んだ範囲にはまだ出てきてないから最後「なんで抱いて欲しかったんだろう」っていうのがわからなかったんだけど、自分なりに謎解きするのが楽しみ!


観て後悔はしない、とっても素敵な映画だと思いました。
邦画のこういう「雨と薄暗い部屋の畳」みたいな絵もいいよね。
純愛というよりはシェイクスピア的な悲劇*