Bi-Bo-6

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日常のあれこれ

FESTIVAL / TOKYO 10

フェスティバル/トーキョー実行委員長 市村作知雄

 フェスティバルでもっとも重要な要素といえば、プログラム、それを実現する人材と資金があげられるだろう。そして常に触れたくなくて、出来れば目をつぶってしまいたいのが『資金』である。いったい誰が好んで資金の調達などに命をすり減らしたがるのだろうか。すでに『資金』については、次回のフェスティバルへの取り組みが中心にはなっているけれど、ますます混迷をふかめている。文化庁はどんな方針をうちだすのだろうか?東京都は?そもそも芸術に関する方針などこの国にあったのだろうか。何度でも、私たちは芸術が生きていく上でもっとも必要なもののうちの一つであると訴えかける必要があるだろう。アーティストもアートの制作者も、アートの専門家であるのは当然としても、もっとポリティカルで経営者の感覚を養うことが重要だと思う。このままだと、アートを創りたい人間とそれを製作したい人間ばかりになって、そのための経営者も政治家もまったくいなくなってしまうの違いない。
 今回も『資金』に関しては、多くの人々の暖かい援助に恵まれることとなった。この上は出来るかぎり多くの人々が劇場などの会場に押し掛けてくれて、とてもいいものが上演され、そこで少しは生きていく上での静かな時間が共有されることが実現されるのを期待するばかりである。」


「世界中から、同時代の先鋭的な表現が集う場であるF/Tは、個々の表現者の切実な問題意識に根ざした多様な価値観がぶつかり合い、その対話と批評の中から、まだ見ぬ新しい価値を創造・想像する場であり続けることを目指している。」


「芸術の公共性を考える」「演劇から都市を見る」「演劇を拡張する」
「あたらしいリアルへ」「リアルは進化する」
「わたしたちは演劇というメディアが、ますます複雑化し、単純な物語としての表象が困難になりつつある複数の現実に応答するために、必至で既存の手法を疑い、自らの境界線を拡張しようとする姿を目的した。」

パブリック・ドメイン /

構成・演出;ロジェ・ベルナット
Public Domain / Concept, Direction: Roger Bernat


劇場を出た参加型演劇。広場で体感する「個」と「公共」


 本作を上演するのに必要な要素は「公共広場」「ヘッドフォン」「いくつかの簡単なルール」そして「観客」――これだけだ。この演劇に俳優はひとりも登場しない。出演者は当日集まった約150人の観客。「出かける前、鏡で自分の姿をチェックしましたが?今いる場所から離れて」、「外見が良いと有利だと思いますか?前へ進んで」――ヘッドフォンを通じて投げかけられる質問と指示に従い、観客は周辺を動き回る。やがてそこにはいくつかの小さな集団が生まれ、観客はそのグループごとに演出家が用意したフィクションの登場人物を演じることになる。
 上演する都市の地理や歴史、参加者の私生活に関する質問を重ねて作られた広場の様相はわたしたちの社会の縮図だ。その中でただ中に立ち、実際の都市の喧騒を身近に感じながら共通の「物語」を演じる。その時、観客の胸に去来するものは?ロジェ・ベルナットが模索する社会と演劇の新しい関係、その萌芽はここにある。