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日常のあれこれ

AR三兄弟の企画書 - 川田十夢

「AR三兄弟」長男の文体、
なんだかシンパシーを感じました。
「回り道する表現が好き」という意味で。

AR三兄弟の企画書

AR三兄弟の企画書

「ワンクリックを省略すること」
「どのアプリも研究も素晴らしいのに、それを自分自身の言葉や行動で伝えるプレイヤーがいなかったのです。ARのユニークなところは、そのリアルタイム性にあります。人間の発する何かと連動していないと。それをパフォーマンスとして見せる人がいないと、その技術的な面白みは半減してしまう。これをまずはクリアするべきだろうと漠然と考えました。あと、新しい技術をドヤ顔で見せるのもどうかと思いました。」
「僕は違うと思います。優れたアイデアには、最初から弧を描くように着眼点を増幅させる遠心力と、それを実現させるために必要な求心力が宿っています。」
「現象の輪郭をなぞるのがパクリ、本質の輪郭をなぞるのが創作。」
「映画には面白い映画と面白くない映画があって、どちらの映画にも、同じようにお金がかかっているし、沢山の人が関わっている。映画に関わる全ての人が、その映画を面白くしたいはずなのに、つまらない作品が生まれてしまうことがある。その理由は、全てエンドロールに書かれている。映画の設計書にあたるものが、映画の最後に流れるエンドロールなんだ。」
「僕は特に若かったので、最初は彼らと会議などで顔を合わせる度にそれが歯痒く感じられ、衝突を繰り返していました。なぜ、挑戦しないのか?なぜ、正しいと思うことをまっとうしないのか?しかし、議論と対話を続けるうちに、彼らは彼らの美学があるということ、その美学の中で一生懸命働いているということ、僕が戦うべきは会議の中ではなく外だということ、この人とたちと喧嘩していても社内での稟議が通らなくなり自分たちが開発や研究に使う予算が少なくなってしまうだけだということが分かりました。」
「むやみに独立することが人生のゴールだとする乱暴自己啓発本が結構ありますが、ああいう類のロジックは、他人の人生を無責任に指し示すことで小銭を稼ごうとする輩が勝手に言っていることなので、まず信頼しない方がいいです。」
「野球場のオッサンに学ぶメディア補完とメディア競合の違い」
「極限的な空白が暗闇であり沈黙であると捉えても何ら間違いではない。むしろ極限的な空白があるからこそ、そこに埋めるべき情報を、人間は想像力やコミュニケーションで補完しようとします。人間が潜在的に持つ力をマスメディアが軽んじた時、先述のワサワサした不幸なマッシュアップが生じてしまうのだろうなと、僕は思い至りました。」
「現実は語り部の介在により、物語になる。
 物語は"介在の余地・余白を与えること"により、現実になる。」
「都市ガスは嗅覚ARだった」
知覚拡張