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記憶を記録 feat. 宇田川藍

夏目漱石・著『虞美人草』 - SALUS October 2010 vol.115

「人間模様で描く、二つの世界の苦悩」文・山下敦史
夏目漱石・著『虞美人草

虞美人草 (新潮文庫)

虞美人草 (新潮文庫)

 遊園地があった頃の二子玉川に引越してきた中学時代、田舎育ちの僕にとって東京での生活は未来そのものだった。都会に住んでいるというだけで、限りない可能性が開けているような気がした。もちろん気がしただけだった。
 それからざっと30年、今さら都会が夢のパラダイスだとは思わないけど、まだどこかに見落とした未来があるような錯覚を捨てきれないでいる。
「東京は目の眩む所である」。水底から浮かび上がる藻に例えられた主人公・小野は、上京して5年間、その街で「きりきりと回った」。考えずにひたすら進み、恩賜の銀時計を賜わる秀才となり、博士となる日も遠くない。だが「根のない事には気が付かぬ」。西洋化の進む明治の東京と、未来のため過去から逃れようとする小野。その二つに、なんだか想像と違う都会生活におたおたしていた自分の姿がダブって見えた。
 小野さんは、未来の象徴のような近代女性・藤尾を手に入れるため、過去そのものである恩師の娘・小夜子との縁を切ろうとする。だが、優柔不断で情に流されやすい彼は決断がくだせず、泥沼に陥ってゆく。あらすじだけを見るなら、この物語はメロドラマだ。藤尾の兄で超然とした哲学者・甲野、その親友でやはり藤尾に好意を抱く明朗な好漢・宗近、旧来の日本女性ながら兄と似た陽性の気質を持つ宗近の妹・糸子。この6人を主要人物に、小野と藤尾、ふたりを中心にした二つの三角関係が繰り広げられる。
 なのだが、読み終わってみると、全然恋愛劇だった気がしない。美しく収まった結末も、誰に感情移入して読むかでまったく印象を変えるだろう。というか、誰か本当に幸せになっているのか? この結末。決してつまらなかったといっているのではない。逆だ。メロドラマと油断していたら、なんだかすごく重いものを背負い込まされた気がするのだ。利己的と悪者扱いされる藤尾やその母親にしても、状況を悪化させるばかりだった小野にしても、自分なりに自分の心に忠実であろうとしただけだ。登場人物たちは、いずれも我意と道義であったり、過去と現在であったり、聖と俗であったりという相反する二つの世界の中で、自分がどうあるべきかを悩み続ける。急転直下のクライマックスで大円団のカタルシスを味わったあと、終章、甲野の日記という形で今度は読者である僕たちに同じ疑問が投げかけられる。そして最後。物語は外交官となった宗近が、当時の東京が目標としていたであろう大都会・ロンドンから送った言葉で締めくくられる。「此処では喜劇ばかり流行る」と。未来に待ち受ける何かを示したアイロニーあふれるエンディングだ。
「自分の世界が二つに割れて、割れた世界が各自(てんで)に働き出すと苦しい矛盾が起こる」そこから小説は始まる、と作者は言う。恋愛ドラマに重ねて、誰もが突き当たる根源的な相克を描いたからこそ、この小説は今も輝きを放つ。夢と現実、過去と未来、二つの世界に足を取られた時に読んでほしい一冊だ。