Bi-Bo-6

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日常のあれこれ

模倣と創造

すっごい落ち込んだからここに反省を書く。
うちの部署に新人が入って来て、ここ暫く教育してたわけなんだけども。
まぁ、平たくいって物凄く物覚えが悪かった。幾ら言っても全然覚えない。叱れば叱るほどミスが増える。指示を出したそばからフリーズする。一度言ったことの9割は翌日には忘れてる。そんな有様で、ついついこちらも語気が荒くなってしまったんだけど。
最近、見かねた後輩が「教育係交代します」と言ってくれた。
それから二週間。
俺が三ヶ月教えてもダメだったことの5倍くらいの量を、新人は難なく覚えてしまった。
これは流石に俺に原因があったとしか思えず、後輩と新人にそれぞれ話を聞いてみると
「増田さんが言うほど物覚え悪くないですよ、ミスは少なくないですが一つ言えば1、5くらいは覚えます。やる気もあるし素直だし謝れるし、いい新人だと思いますよ」とのこと。
俺の感覚としては、幾ら言っても覚えず口ごもるだけの子だったんだが。確かに素直ではあったけれど。
これはもう仕方ないということで、きっと自分に非があったのだろうということをまず伝えたうえで新人に話を聞くと
「増田さんの指示には主語がないんです。何をしろと言われているかわからない、それを矢継ぎ早に出してくるからパニックになってしまうんです」
「増田さんは、例えば書類仕事を教える時も仕事の仕方は教えてくれますが、その書類が何なのかは絶対教えてくれてないんです。仕事そのものの全体像がずっと見えないままでやってきたので非常に難しく感じていました。大方の仕事がやり方はわかってもそれが何なのかわからない状態だったんです」
その後、後輩にもう一度話を聞くと
「彼は二手先三手先を読んで動くタイプなので、断片的に教えず全体像を教えた方が覚えが早いです。増田さんはちょっと過小評価し過ぎて悪循環に嵌ってたんじゃないかと。彼は、ゴールを与えてそこまで勝手に走らせるのがいいみたいです。だから、仕事全体の流れを教えただけで随分変わったでしょう?」
はい、ごめんなさい。
俺が悪かったです。主語が無いのも、大事な説明をしないでハウツーだけ教えようとするのもその通りでした。
しかし、去年の子は全く逆で「仕事の全体像から自分のするべきことを逆算する」っていうのが全く出来ない子だったんだけど
本当に色んな子がいるなぁ。危うく新人一人潰してしまうところだった。
反省したい。ごめんなさい。
引用:新人と教育係。

自分はこのタイプだな、と思った。
全体像を求めてしまうタイプ。


完璧な人間なんていないのに、10年多く生きているからといって
スーパーマンになってるわけなんてないのに。
だから逆に言えば自分より10歳下の人がいたとしても、その子に私は大きな顔できないなあと思っている。
これって一見謙虚に見えるけど、全然そんなことないの。


でもね、そんな考え方ってちょっとおかしくない?「論理的」ですらないよねもはや。
「だれだって完璧じゃないよ」っていいつつ自分の10年後に描いているのは「スゴイ人」なんだもん。


10歳年上を横に乗せたのであれば
自分より10歳年下も横に乗ってくるはずであって
自分がそのループの中で溺れてそのまま一生人生が終わっちゃう。


たぶんインターン中いろいろ説教されてたのはここなんじゃないかと思う。
「君はそのなんちゃって実力主義の矛盾に気づいてないのか」と。


と、いうことを教えてくれたのは以下のレスポンス。

この増田が本当かどうかはわからないが
今自分が新人の自分に声をかけられるなら言ってやりたいことが二つある。
・「先輩や上司にもわからないことはある。それでもみんななんとかやってるんだ」
・「みんなやる気を示せば意外と親切にしてくれる。
  まず自分で頑張ってみて、わからないことがあれば周りを信頼して頼れ」
という2つだ。 「待つな、自分で動け。そのうえで希望せよ」という感じだろうか。


「教育がかりがこうだから私はわかるようにならないんだ」
「こうしてくれればわかるのに」
できないとき、私もひたすらこういうことを考えていた。
何が不満なのかと尋ねられたら、そう説明できるくらいに
先輩の教え方の悪いところをよく考えていた。
それで、自分は客観的に物事を見れているとか、よく分析していると思っていた。
自分自身の観察が甘いとは考えていなかった。
いざわかるようになったのは
自分の想定したいたように先輩が教えてくれたからではなかった。
今から考えてみれば、自分が考える
「こう教えてくれればわかるのに」が正しいならば、
自分でアクションをとれていたはずなのだ。
全体像が分からないことが問題なだけなら、全体像を意識すれば理解できるようになるはずだった。
でも実際はそういうことじゃなかったんだ。


そもそも先輩が全体像を把握しているかというと
ほとんどの職場において、そうでもないのではないか?
先輩は全体像が分からないなりに、わかることを駆使して
目の前の事案を上手にやりくりしているのではないだろうか。
そして、先輩は本当にわからないことがあるとき、ちゃんと上司に相談していないだろうか。


私はこれがなかなかわからなかった。
ずっと、「ちゃんと教えてくれればわかるのに教えてくれない」と先輩や上司のせいにしていた。
自分で調べればわかること、聞けば教えてくれることを自分から理解しに行こうとしなかった。
ひたすらに受け身だった。
もちろん本当に「何がわからないかもわからない、だから何もできない」状態というのも最初は多かったが
ほとんどの場合は
「こういうところまではわかるのだが、そこから先がわからない。
 自分ではこう考えるが正しいだろうか」というパターンだった。
そして、そういう質問の仕方をすれば、教えてくれなかったり頭ごなしに怒られるほど先輩はひどい人ではなかった。
私がいつも怒られていたのは、相手から見て
「やる気がない」「自分で考えようとしない」といった消極性が原因だったのだろうと思う。


世の中には本当にブラックな企業がたくさんあると聞く。
だが、私みたいに本当はそこそこまともな環境にいるのに
勝手に会社を悪者扱いして自分から動こうとしなければおたがいにとって悪い環境になってしまう。
人に期待するのはほどほどに、でもやれるべきことをやって、胸を張って要求すれば
意外となんとかなる場所なんじゃないかと、そんな風にも思えるようになった。
引用元:先輩や上司は「全体像」を把握しているという幻想を捨てる

2013.3.17追記

今日はてブが沢山付いていたレスはどこかで見たことがあったなあなんて思ったので、
過去の記事(これは2010年にNAVERインターンに参加していたころの話)を掘り起こしてみる。


去年からいわゆる大企業に属した身になっても、根っこのところで「年齢なんか関係ないぜ」思考は変わってない。
非常に生意気な新人です。いっぱいいっぱい、先輩から盗んでやろうと。


けども、変化を感じる瞬間もある。
まず、身近に「スゴイ人」を求めがちなのは、私が「この人についていきたいんだ」という矢印の先っぽを探し続けているから。
自分が「信頼」という意思を投げかける相手を渇望しているからなんだろう。
そのつぎ、知識と経験(から導き出される、合理的な判断)。
年齢を重ねて得られるものは、おおまかに上記の3点セットなんじゃないかなと、肌で感じている。
「このときはこのデザインでいこう。このときはこの発言をしよう。」こういった判断が行えるのは、経験をサンプルとしてあたまのなかで処理できているから。
だから、敬いこそは信頼なのだ、というレトリック。

そんな断片的な気がつきの集合こそが、私の体験になり、次の一歩を踏み出す判断へと、昇華されてゆく。