Bi-Bo-6

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記憶を記録 feat. 宇田川藍

☆風景学入門 - 中村良夫

風景学入門 (中公新書 (650))

風景学入門 (中公新書 (650))

「都市は、たがいに十分気心も知れず素性も定かではない人々が集まるところである。土から離れ、自由に活動しようとする人々が、さまざまな想いを抱いて暮らしている。都市は、そのことを前提としながら、めいめいの理想追求の自由を保証し、快適に暮らしてゆくためのルールによって成立している。農村に見られるような、私的領域に対する相互の暗黙の了解は存在しないから、最低限、たがいに敵意のないことは明確に表現しておかなければならない。
 したがって、見知らぬ人どうしの挨拶が都市的に洗練された作法になるのは当然のことであろう。この作法が都市空間における造形的表現にも反映されていく。古くから都市共同体が営まれている町では、この作法がよく発達し、信じられている。民家の窓辺や軒下に花を置くなわらしは、ヨーロッパでは広く行きわたっていて、ときには半ば法的強制力さえもつが、こうした風景に接すると、何かしら、挨拶を受けたように感じられる。わが国でも、門前の路地を掃き清めたり水を打ったりする風習は、これに相当するのであろう。いまではこの慣習はしだいに消えつつあるが、正月に門松を飾る風習にその名残りが見られる。」
「都市の風景という課題のなかでは、瑣末なことのように見えるかもしれないが、都市風景の基本に「挨拶」という性格を確認することは、重要なことであると思う。」

「不特定多数の道行く人々に積極的に語りかけねばならない商家の場合には、挨拶の必要がことさら大きく、看板が発達するのも当然である。」

  • 生活景

「商店看板の祖型は単なる情報板というよりも、一定の型式を備えた人間的な身振りの優雅さをもっていた。それは優雅な挨拶といってもよいものであった。勝手気ままな看板の氾濫は、喧騒と自己主張の横溢でしかない。およそ、勝手に挨拶の流儀を発明するというようなことは、人の世では考えられないわけで、これは都市風景でも同じことなのである。」
「関係者がみな一定の約束に従っている姿自体が一つの都市的風景をつくる、という点に注意する必要があろうと思う。」

  • 民家の塀

「柵や塀のような構築物を粗末にあしらうと、無愛想の感を禁じえない」
「およそ人間が使う道具は、とり合わせと場所と時機を得ることが肝要である。」
「都市の美的体験には、暗々裏に結ばれたこの約束の感覚がひそんでいる。この約束が守られている生活景には、唐突で人を脅かしたり、不安におとしいれるようなところがない。何かあたりまえで安心しきっていられるような、紋切り型といってもよいような、寡黙な道具立てがただそろっているだけである。〜都市風景の混乱は、この沈黙の禁が侵されているという感覚に通じている。」